俺さぁ、・・・(馴れ馴れしいか)・・・私、20代の頃下北沢近く・・・あくまで近くね、・・の、おんぼろアパートで(もうないからいいか、大家さん家賃いっぱいためてごめんなさい。)・・・プー太郎のアルバイト暮らししてた頃。
雨が続くと・・仕事もせずに・・キャベツばかりを・・かじってた♪・・ので。質屋さんにもよく行った。14型のテレビは何度も大きな風呂敷に包んで背中に背負って下北沢にある・・・・「太陽に吠えろ」のロケの写真が貼ってあった・・・質屋さんに通ってた。・・・わざと大きな唐草模様の風呂敷に包んで、それを背負ってさ・・・無精ひげ生やして・・・泥棒スタイル・・・・そんな風に自分のやってることを笑わないと・・・・日常につぶれそうだったから・・・・
定期的に利子の分だけ入れておけば、質草のテレビは流されずに置いといてくれたので、バイト代のお金が溜まるとテレビが見られた。
それでも、にっちもさっちも行かなくなって親類のおじさんに借金に行ったことがある。
親類とは言え、借金のお願いはいやなもんだ・・・おじさんは何も言わず貸してくれたけど・・・・お金返した後も・・いやーな感じの思いは残ってた。
落語「ねずみ穴」は、死んだ父親の遺産分けで田地田畑半分もらった弟が茶屋酒覚えて・・女っこ、博打と・・すっかりとられて、・・・江戸で大店の主になった兄に働かせてくれ・・何とか助けて欲しいと泣きつくところから始まる話だ。
どうにもこうにも行かなくなって・・意を決して、恥を忍んで頼ったあげくが・・・商いの元だと紙に包んで貸してくれたのが3文の銭。
伝助さんは、伝助さん流の優しさで、弟の竹次郎を肉親の愛を信じるロマンチストと表現してたけど・・・俺自身に置き換えるとそ れは・・・弟としての甘え・・・何とかしてもらえるという甘えなんだと思う。
美談として解釈すれば、兄は弟の甘えを見透かして弟の奮起を促がすために、わざと3文しか貸さなかったというのだろうが、・・・見方を変えれば、返ってこないのを覚悟して貸すなら3文が限度ということ。
今、思えばおじさんに借金に行った頃、俺はアマちゃんで、頼れば誰かがなんとかしてもらえると思ってたんだろうな。
この落語で色んなことを教わった。
「精出せば凍る間もなし水車」・・・「稼ぐに追っつく貧乏はなし」
「落ちぶれて袖に涙のかかるとき、人の心の奥ぞ知られる」
談志さんは、竹次郎さんの子どもの名前を「はな」でやってるけど、円生さんとか小三治さんとかの聞くと「よし」と呼んでる。・・・・理由は知らん。
昔、この噺のサゲ「夢は五臓(土蔵)の疲れだ」・・・・が分かりづらいので。
「・・・・・・ありがてえなぁ・・おら、よっぽどねずみ穴ぁ、気になったでね。」
「いやあ、無理はねえ。夢は五臓(土蔵)の疲れだ」・・・・・・の後、ジャン、ジャン、ジャン、(遠くで半鐘が鳴ってる)・・・・・(兄が)「・・・ん?火事か?」(と言って竹次郎を見て、悪魔のような顔でニヤリと笑う)・・・でエンディング。というのを考えたけど(火事になれば、また夢になるとは限らないぜ)・・・やっぱり後味悪いかな。
で、また夢になるといけねぇ・・・・の落語「芝浜」
上野鈴本演芸場の昼席では、年末特別興行「芝浜」を聴く会」というのをやってる。
12月21日(水)「芝浜」・・・・林家たい平
12月22日(木)「芝浜」・・・・林家正蔵
12月24日(土)「芝浜」・・・・古今亭志ん輔
12月25日(日)「芝浜」・・・・三遊亭金馬
12月26日(月)「芝浜」・・・・柳家権太楼
12月27日(火)「芝浜」・・・・柳家さん喬
私は、知らずに入って昨日の22日の林家正蔵さんの回のを見た。・・・・・・なんで、昨日の22日かというと22日に立川談修さんの「ダンス・ダンス・ダンシュー#41」を観にいって開演まで時間あったので鈴本演芸場に入ったらやってたという話で・・・
立川談志さんが亡くなっておよそ1ヶ月、前日の12月21日はホテルニューオータニで「お別れの会」・・・・談修さんの独演会行きたくなるでしょう?何を話すのか聴きたくなるでしょ?・・・会場来てましたよ「この落語家を聴け!」の広瀬和生さん・・・・・髪の毛長いよな。うらやましい。・・・週間ポストに載るのかな、談修さん。
前に伝助さんも書いてたけど、林家三平さんが亡くなったときの立川談志さんの三平を偲んで?の高座みたいなものを期待したけど・・・・・
開口一番
「子ほめ」・・・・・立川吉笑
東京かわら版の芸人名鑑でみると・・談笑さんのお弟子さん。平成22年の11月入門、京都府京都市出身となってる、関西の人なんだなぁ・・・子ほめはこっちの言葉でやってたけど
何か、いい感じ・・・たたずまいが。
「談志の思い出?」・・・立川談修
いつもなら、ネタおろし含めて3席やるけど、今日は談志師匠の話をして、後二席は、談志が「どこも文句がない。とほめてくれた噺と天国で激怒する噺をやると前置きして、談志死亡のニュースを知るまでの経緯とか弟子として談志との思い出とか1時間ぐらい話して、そのまま・・・
「宮戸川」・・・・・・・・・・・立川談修
談志が文句なしといったという噺。うまいよね。ちゃんとしてるよね。でも談志さんは「あとは、どう商業ベースに乗せるかだ。」とも言ったとか・・・・・・思うに、談修さんの「宮戸川」じゃなきゃやだ!というふうにならないと・・・・うまい、ちゃんとしてる噺家さんは、いっぱいいる。
――――――― 仲入り ――――――
「芝浜」・・・・・・・・・・・立川談修
談志さんが天国で激怒するかも・・・の方の噺。
鈴本演芸場もそうだけど・・・みんな、好きだよね「芝浜」・・話す方も聞くほうも・・・「おっ母ぁ・・死のうか?」も・・・「百八つ・・・・百八つ・・うん。百八つ」もやりたいよね。やりたくなるとこだよね。
でもこれも・・・いつか談志さんじゃない。談修さんの「芝浜」聴きたいもんです。死にたくなるような貧乏や・・・死に物狂いで亭主をだまして夢にする魚屋のかみさんの悲しみを・・・全部ひっくるめて除夜の鐘に込める夫婦の大晦日を・・・・
夜の8時40分くらいに終了予定っていうから、上野発9時30分発の常磐線特急切符買ってたのに、熱演で終了時刻は9時を回ってた。・・・・・上野広小路をダッシュして上野駅に突入する太ったおっさん。談修め!・・・・・・・・・・・・また、色んなことを考えさせられた談修独演会でした。