地震で、部屋の中のいろんなものが吹っ飛んで、録りためてあったカセットテープが、ケースごとぶっ壊れて・・・拾い集めて整理してたら「昭和57年度 落研小噺大会」というタイトルのカセットテープが出てきた。
当時、落語研究会の活動の中で、一年に一度ぐらい部員同士で自作、あるいはどこからか見つけてきた小噺を発表しあって・・・・まあ噺の枕を強化しよう、使える小噺のストックを増やそうというような目的だったのかなぁ・・・そんなことをやってた。
私が、一年のときは何月何日にそうゆうのやるから事前に本とか寄席で小噺をみつけるなり、憶えるなりして用意しておくように・・・と先輩からお達しがあり・・・・まだ、落語になじんでいなかった一年生、男どもは、・・・「とにかくうけるものを・・・・」・・・うけるのは下ネタ・・・それしか思いつかず・・・・誰かが古本屋から見つけてきた「艶笑小噺集」かなんかの本を・・・俺、これにする・・・お前はこの噺いいんじゃない・・とかやりながら、とにかくニヤニヤしながら・・・これはうけるぞーと・・・当日の発表会に望んだ。
まぁ、一人目、二人目が・・・「昔、老子なんてえ人がいたそうで、何十年も母親のおなかの中にいてなかなか生まれてこない・・・やっと出てきたときには、白髪の老人だったなんて話がございまして、・・生まれてきたときに老子に聞いた人がいたそうですな・・・・母親のお腹の中っていうのはどんなところでしたか?・・・・うーむ。暑くもなく寒くもなく・・・そうちょうど秋のような穏やかさであったなぁ・・・へーちょうど秋ねぇ・・・でも暑くもなく寒くもないなら、春でもいいじゃないですか?・・・なんで秋と?・・・・・・・・いや、これは秋じゃな、なんせ時々下から松茸が生えてきた。」
なんてなのを、しゃべっている最初のうちは良かったけど・・・これが3人、4人とこんなのばっかりやってたら、先輩が怒り出した・・・そりゃそうだ・・・「いいかげんにしろ!俺たちはバレ話聞きにきたんじゃねぇ!!」
・・・しかし怒られても・・・憶えてきたのはこんな噺しかないんだから・・・アドリブでしゃべれるほど、小噺なんてしらないし・・・・怒鳴られてシーンとした会場の教室の中で・・・上がったのは誰だったかそーだ、たぶん松時(ショータイム)君だ・・・・・「エー、大家のお嬢様が病気になりまして・・・医者の見立てでは、体が弱っているので・・・滋養のあるものを食べて栄養をとらないと・・・・・父親のいうことには、「では、娘が松茸のようなものが食べたいと言っております・・・・松茸のようなものは、食べさせてもよろしいでしょうか?・・・・・何?松茸のようなもの?・・・それは、いかん!・・・何を食べさせてもよいが、「松茸のようなもの」はいかん!・・・・・・へっ?松茸は、体に悪いんですか?・・・・そーではない。「松茸」は、食べてもいいが・・・「松茸のようなもの」は、体に悪い。
絶対、うけると信じて憶えた噺だったのに・・・・・そんなことが、あったけ。
代官山で親類の結婚式があったので、土曜日23日に行って来た。
幸せな人を見ると、こちらも幸せな気分になる。
帰りに新代田に寄る。代官山から東急東横線、渋谷で降りて京王井の頭線・・・新代田で降りる。
雨の新代田駅前を少し歩いた。雨の新代田、羽根木の街は、怒ってた。
今頃、昔の仲間が懐かしいと言うのなら・・・なんで何十年も連絡したり近況報告とかしないで・・今頃なんだ・・ごめんな。・・・昔からこうだったよな。俺。
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