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2011年6月27日月曜日

スローバラードと宮戸川・・・ついでにグレイ

ビンボーな学生・・・ビンボーなプー太郎だった俺達のデートは、彼女のアパートの近くをブラブラ歩くことだったり・・・丸なんとか言う商社の社員寮の屋上に忍び込んで夕日をながめたりすることだった。
確か・・俺達の落研のころは、大学3年の代が主催して3年生の誰かの地元で「3年の会」と銘打って落語の発表会を開いた。俺が1年のときは、3年生が2人しかいなかったので、無かったけど・・・2年の時は、茨城で・・・自分らが3年になって群馬県・・・4年のときは埼玉・・
その3年の時の群馬からの帰り道・・・・同期の部員の女の子の実家が群馬だったので・・・3,4人で帰りに寄って休ませてもらった・・・焼き饅頭?御馳走になり・・・当時、その部員の子とつきあっていたあいつは・・・(あえて匿名)・・・彼女の御家族に恐縮して緊張していたのが笑えた・・・そして日当たりのいい部屋で・・・昼寝をさせてもらった。気持ち良く、気持ちよく・・眠れた。

夕方、俺はつきあっていたあの娘と、群馬から生田のアパートに戻った。
取り留めの無い話をして・・・彼女は・・・泊まっていくことになった・・・

さて、落語「宮戸川」・・・将棋で遅くなって親父に締め出しを食った、せがれの半七と・・・隣の船宿の娘のお花も締め出しを・・こちらは食べ、・・・・とにかく霊岸島のおじさんの所に泊めてもらおうと急ぐ半七にお花がくっついていって・・・(お花が、頼りのおばさんは、熊本で・・・訪ねていくには遠すぎらい!)・・・夜中に訪ねてきた半七の後ろにお花を見つけた霊岸島のおじさんは・・・飲み込みの早~いおじさんは・・・二人を二階の一間に上げて寝かせてしまう、布団は一組、はしごまではずして・・・・・・恥ずかしがって・・・背中合わせに寝ていた二人を・・・・引っ付けたのは雷だ。・・・ぴかっ!と光って・・・・カリカリカリ・・・とくれば・・・そりゃーどうしたって引っ付くだろう。

あの娘は、俺のトレーナーとジャージを寝間着代わりにして布団に入り・・・背中合わせに話をしながら・・・・夜は更けていったんだ・・・話が途切れて・・・寝たのかなと思った・・・彼女が寝返りをうった・・・俺もそっちを向いて・・・・「どうした?」・・・・「なんでも・・・ない」
・・・・・・それから、どうなったかなんて、30年も前のこと・・・思い出の中の本なんてボロボロで読めやしない・・・・
でも、あの娘の寝言を聞いた・・・気がした。確かに聞いたんだ。・・・枕元でRcサクセションの「スローバラード」が流れてた・・・・

伝助さん、私もRcサクセション大好きでした。・・・・風公君に言わせると、あれは、ローリングストーンズのミック・ジャガーの真似じゃねえか・・・とのことでありますが・・・確かにそうですが、ミック・ジャガー日本人じゃねえし・・・好きなもんは、好きでしょうがない。
子別れ・・のとこで書いた件。わかりづらい文章を御理解いただきありがとうございます。
励ましまでいただいて・・・恐縮です。自分でも誠実にやってれば幸せに出来ると思ってますが・・・一筋縄では行かないです。・・・・俺のことなんかほったらかしても、娘と仙台だの横浜アリーナだのの「グレイ」のコンサートツアーに行ったりしております。・・・私と同い年なんですけどね。・・・・・私には、グレイの曲もわかりません。カップヌードルの替え歌のやつしか知りません。・・・・どうなりますことやら・・・・

宮戸川・・・・噺の途中で下げが、来るので全編を通して聞かないと、私には演題の意味がわかりません。後半は、暗い噺になるようで・・・・柳家喬太郎さんが、やってたなんて話も聞きますが・・・面白いんでしょうか。

2011年6月19日日曜日

海が信じられない・・・

「子別れ」って噺があるでしょう?
中でも、いわゆる・・・「子別れ」(下)・・・子は鎹(かすがい)っての

「子別れ」(上)・・・・こわ飯の女郎買い
   大工の熊さんが、とむらいの帰りに、こわ飯持って、吉原、遊郭に行って・・背中にしょったこわ飯の煮物の汁が、しみ込んだ ふんどし 絞ろうとしたり・・・

「子別れ」(中)・・・・これは、別名はないのかな・・
   吉原に居続けて、4日も留守にした家に帰って、喧嘩して・・かみさんと子どもおん出して・・・・お女郎さん連れ込んではみたものの・・やはり野におけレンゲソウ・・・うまくいくはずもなく・・

そして「子別れ」(下)
   まだ、思い続けている母親と心入れかえた熊さんを・・・子どもの亀ちゃんが「かすがい」になって、二人を元のさやにおさめて・・・くっ付ける。・・・感動的な噺で・・・・みんなハッピーエンドが好きなんだよな。俺もそうだったけど・・・

 子どもは、実の母と実の父の愛情の中で・・・・幸せになるもんなのかな・・・
子どもを連れて別れた母が・・・・・まったく別の男と一緒になり・・・・子どももなついて、母も幸せになり・・・幸せな「新しい家族は」・・・ずーっと幸せに過ごしましたとさ・・・・ってえのは、駄目なのかな・・・
俺は、子別れ・・この噺を、現、落語協会会長 柳家小三治さんが本多劇場で上・中・下、通しでやったとき見にいった。・・・ずいぶん昔の噺だけど・・・この噺の・・・よく出来たこの噺に・・・満足して帰った記憶がある。・・・発売された録音には、たぶん俺の笑い声も入ってるはずだ。・・・どれだか、わかんないけど・・

俺は、人生の大事なことを落語でいっぱい教わった。
でも、この噺のようには・・・・現実は、別れた親子は元のさやには、戻らないこともある。だけど・・だけど・・実の親子でもないけれど・・・母は新しい男に、残りの人生をかけるけれど・・・必ず幸せになるのだ・・・そんな、子別れが、現実には、あってもいいのだと思う。こんな夫婦も親子もハッピーエンドになるんだ・・いや、してみせる。・・・個人的な現実・・・・個人的な決意・・・

地震の前には、ブラブラと出かけて・・・ボーっと見てるだけで静かな時間が過ぎて・・・・まあ、明日から頑張れるかもしれんよなぁ・・・そんな気にさせてくれたこともある・・・いつもじゃないけどね・・・海を見に行ってきた。
だけど・・・どうも・・海が信じられない。うちの町でとれたお茶は飲めないらしい・・・野菜や・・・米だってどうなるのか・・海すら・・・信じられない。・・・・信じられなくても明日は来るんだけどね。

伝助さんの落研の話、すげえ楽しみに読ませていただいてます。伝説の日本刀男事件・・・思い出しました。

2011年6月5日日曜日

落語、聴きながらぶーらぶら

家の中で、大好きな落語を聴いていても・・気が滅入る日もあるわけで・・・
「落語家生活三〇周年 雀々十八番 下巻」DVDの中から「がまの油」・「仔猫」を観る。

亡くなった桂枝雀さんの遺伝子。ちゃんとお弟子さんの中に。
面白かったよなぁ・・・枝雀さんの落語。俺が生で観たのは、東京で橘家円蔵さんの独演会のゲストに出演された一度きりだったと思うけど・・・映像で観ても、録音で聞いても面白かった。・・・

あの人の、遺伝子は・・・志村けんさんやダウンタウンや柳家権太郎さん・・・いろんな人の中で見つけることがある。
俺だって・・・関西の生まれだったら・・「すびばせんね」は、もちろん・・「よろしくおたぬきもうします」とか・・・「お陽ぃさんが、かぁー!」・・・友達の家から帰るときには「さいなら、ごめーん!」・・・て、絶対やってたと思う。・・・「生年月日を言ってください。」と聞かれれば・・・絶対、大きな声で「せいねん・がっぴ!」と答えるな。・・・・・なんかの間違いで酔っ払ったら「お・・嬢さん~ブランコ乗りは・・よーいけれどぉ~・・あがったり、下がったり・・・するたぁびにぃ~・・チラリと見えます・・・真っ黒けのけ・・さっぱりわやや・・・・・」歌ってるな。

で・・・とても、家にひとりでいる気分ではないので・・・落語のCD聴きながら・・・国道51号線を西へ・・・桂枝雀さんの「幽霊の辻」・・・「雨乞い源兵衛」・・・春風亭昇太さんの「悋気の独楽」・・・「不動坊」・・・立川談笑さんの「シシカバブ問答」(イスラム教徒の蒟蒻問答)・・・・「金明竹」・・・(青森弁で道具七品・・・)聞きながら・・・海をみて帰ってきた。

仕事柄・・「死産届け」なんてなものを処理しないといけないこともある・・妊娠して13週と3日・・・戸籍にも載らない・・・・名前すらつけてもらっていない・・・男の子・・・・
関係ないっちゃあ関係ないが・・・なんか気が滅入った。なにをたそがれてんだかなぁ・・・寝よう。