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2011年9月19日月曜日

「ジュリーがライバル」聞きながら・・・真景累ヶ淵までひとっ走り

三連休ったてさ、独り者には、いつもの休日と変わらないわけで・・・

溜まったパンツ・シャツ・靴下、なんか洗濯して・・・ペットボトルのラベルはがして、キャップはずして、洗って、つぶして・・集積所に持ち込んで・・・なんてなことしてても一日は過ぎてしまう。

「探偵はBARにいる」・・・「サンクタム」・・・・「コクリコ坂から」・・・映画をはしごしても、・・・大泉洋が地下洞窟で、出口探して、上を向いて歩こう歌っているような・・訳のわからん状態で一日は過ぎてしまう。

どっか行こうと思い立って、・・・以前、伝助さんが感想を書いていらした「断髪のモダンガール」の森まゆみさんの「円朝ざんまい」のを拾い読みして真景累ヶ淵の舞台のひとつ・・・常総市の羽生にむかう。・・・以前は水海道市・・円朝が言うところの水街道・・・合併して常総市・・遠いなぁ。
ついに走行距離23万キロを突破したカローラに乗って・・・

このカローラ、つい先日、信号待ちで止まってる時に、おばちゃんの運転するワゴン車に後ろからドコーンとぶつけられて・・・・後ろのバンパーがベコッとへこんだけど・・・・道路脇に止めておばちゃんから電話とか連絡先聞いてるときに、ワゴン車の後部座席の2歳ぐらいの子どもの悲しそうな・・心細そうな男の子の顔が目に入ったので・・・「いいや・・こんなの内側からたたきゃあ直っちまう・・・・なんてこたぁないよ・・・子どもさんが泣きそうだ・・・もう、行っちゃって、行っちゃって・・・」(なんで、こんな言葉が出たのか・・・こんなこと言っちまう性格だから、嫁さん来ないのだ・・・関係ないか)
で、帰って内側からたたいて・・それなりに直ったけどさ・・・うしろのトランクは、開けるとガツン、ガツンしないと、閉まんないし・・・車体の全長が縮んでるんだよね・・2,3センチ・・・まあいいけど・・・

行く前に、三遊亭円生「真景累ヶ淵~勘蔵の死」を聞いて・・・ほんとは「~お久殺し」とか「~お累の婚礼」あたりを聞いておくといいんだろうけど・・・残念ながら音源持ってないので。

相変わらず、ナビとか持ってないし、生来の方向音痴で地図をぐるぐる回しながら遠くに筑波山・・・何とか常総市羽生町・・・鬼怒川沿いを走る・・・へこんだカローラで、・・・バックに流れるのは、往年のアイドル石野真子の「ジュリーがライバル」(これは、伝助さんが先輩の歌ん朝さんの大喜利ネタで書いてて、聞きたくなったわけで・・詳しくは松風亭日常を参照)

・・静かな田園地帯・・・川沿いは、竹やぶなど生い茂った・・・ちょっと不気味・・・・円朝さん言うところの「ボサッカ」・・茨城県の方言だと「ボサッコあるいは、ボサッ株」・・・こんなところで、落ちていた草刈鎌が、つまずいた拍子に、ひざにブス・ブスッ・・・とか、刺さるのは恐いな・・・
そうだ、目的地は、浄土宗法蔵寺・・・・近くに弘経寺(ぐぎょうじ)という徳川家康の孫の千姫の墓があるお寺さんがある。ここはりっぱなつくりのお寺だけど、ここはパスして・・・・法蔵寺へ。

弘経寺(ぐぎょうじ)に比べると見劣りがする、累ヶ淵の物語の舞台というには・・・・・
入り口で、境内を掃除してた檀家のおばちゃんかな・・自転車で帰るところとすれ違う・・・「こんにちは」・・声をかけて境内に入る。ひなびてはいるけど、掃き清められた庭の端に落葉が燃やされた跡・・・お線香のにおいがする・・・台風がくる前の強い風で雲が飛ばされて・・日が当たって木漏れ日が気持ちがいい。人っ子一人いないお寺の隅にひっそりと、累さんの墓があった。
300数十年前のこの地の悲しい事件が、しのばれる古びた墓石に手を合わせた。

正保四年(1647年)にこの地であった悲しい事件が原作の元になった鶴屋南北の「法懸松成田利剣」(けさかけまつなりたのりけん)の舞踏「色彩間苅豆」(いろもようちょっとかりまめ)が事件の後、130年後・・・その30年後に円朝が「真景累ヶ淵」を作ったとのこと・・・・事件そのものは、悲しい話。忘れてしまおう。

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