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2011年3月29日火曜日

景清

私の周りでも、ガソリンは落ち着いて来たし、コンビニも電池やペットボトルの水の制限などを除けば、普段の営業に近づいてきてた。
私の仕事場もどうやら通常業務が出来るようになってきた。ありがたいことだ。・・・会社が被災して従業員全員解雇という話も解雇された人の奥さんから聞いた。そんな人に比べたら仕事があるだけけでも・・・・

地震の後は、不思議なことに車で寝たり、事務所に泊まりこんだ時もほとんど寝なくても、平気だったし食べるもの食べなくても、空腹感もなかった。・・・1週間ぐらいしたころに・・あっ やせたなぁ と気がついてベルトを3~4センチ切ったのにゆるゆるだった。ここんとこ眠くてしかたないけど・・テレビ見ても楽しいと感じないし・・・好きだったお笑い番組も見る気がしない・・・どうしたもんか・・

雨の中、自転車で2時間半通勤した時に思い出した噺に「景清」があった。・・・
桂文楽・・先代八代目のをテープで聞いたのと、亡くなった桂枝雀さんので・・何が気持ちに引っかかったのか・・考えたら「やけっぱちになる」ということだったようで・・・

あの噺は、目の不自由な定次郎さんが目が見えるようになりたいと信心して・・・・ちょっと良くなったところで、一緒に信心してた女の人にムラムラして・・元にもっどてしまったり・・ここで「やけっぱちになって」・・・・でも気を取り直してまた信心して目が見えるようになる・・・なんて噺でしょう?
桂文楽さんの十八番のひとつを、こんなあらすじ、解釈したら伝助さんに怒られるかな?・・・伝助さんすいません。

この「やけっぱちになる」くだりは、桂枝雀さんで聞いた「景清」の主人公の方がむちゃくちゃですごい・・・
私も、自転車こぎながら・・・余震や買えないガソリンや放射能の雨や・・・・ひとつの町や家族や自宅や思い出や帰るべき故郷を失ってしまった人たちに何もしてあげられていない無力感や・・・・この国は、これからどうなるんだろう、という不安で・・・「やけっぱちになって」いたのかもしれない・・・・噺のエンディングは、目の無い人に目が出来る、おめでたい・・・・それは噺だから、それでいい。・・・そんなふうに「景清」という噺を思い出したという話。

伝助さん。私のようなものを気遣っていただいて、ありがとうございます。
まだ、やってみたいこといっぱいあるので、やけっぱちになってなんかいられないですよね。
世の中がもう少し落ち着いたら「大山詣り」もやってみたいし、「愛宕山」でカワラケ投げ・・・(今はやってないらしいですけど)・・・・私たち世代の落研OB部員集めて夏合宿、発声練習付き、「大福の夢の寄席」も本人にやってもらおう・・・世の中がもう少し落ち着いたら・・・

地震の後遺症です。すいません。文章がまとまってません。たまにはこんなまとまらない気分の夜もあるさ。

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