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2010年12月28日火曜日

冬の正座

八海さんからは、とにかく右足だったら右足から殺せ・・・そんで、我慢できなくなったら残った左足を殺す、というふうに1本ずつ殺していけば・・・何とかもつ。
・・・・・物騒な話ではない。正座の話。

落研の合宿には、だいたい2本ぐらいのネタおろしの噺を憶えて持っていった。
だいたい、合宿の午前中は、朝食食べて、発声練習に海岸まで走って・・・・

食事といえば、先輩の給仕は、対面に座った後輩がするもんだった・・先輩がご飯1っ杯目を食べ終わるには、正座に座りなおして待つ、茶碗は両手で受け取る、ご飯は、しゃもじで2回に分けてよそってあげる・・・・なんてなことは、合宿で先輩から教わったんだよなぁ。

で、午後と夕食後に、発表会形式の高座が待ってる。
これが、私の1年のときは、まだ七代目の橘家円蔵師匠が技術顧問の時代のなごりが残ってたんで、きつい、きつい・・・もっとも、これは伝助さんやもっと以前の先輩方のほうが、すごいエピソードは、お持ちなんでしょうが・・・・・

発表会形式の正座の件、・・・前座というか開口一番というか最初の人が高座で噺を始めてから下で聞いてる方は、ずーっと正座。それから3人、4人とあがってしゃべってる間もずーっと正座。
真打が上がって、・・・「お平らに!」・・・と足をくずしていいよ!という指示が出るまで、正座。・・・・・・・これは、きつい!・・きつかったですよねぇ・・・・(また、始まった。誰に同意もとめてるんだか・・)

しかも、合宿は4日、5日と続くわけで、4日、5日目ぐらいになると、正座でもって足はパンパンになってるから・・・・これで、冒頭の八海さんのテクニック、足は片方ずつ殺せ!になるわけです。

そして、伝助さん時代の有名なあの事件。
題して・・・・・「円蔵師匠が合宿に来て、部員が持ってきていたサロメチール軟膏を歯磨き粉と間違えて歯を磨いちゃった事件」・・・(題してないや、そのままじゃないか!)
これも、正座のつらさを解消するために、持ってきたものなんでしょう?

だから、覚えたてのネタを高座で忘れて絶句してるときの演者と、下で聞いてる足が痛くて、疲れて眠くてしかたない連中のにらみ合いは、すごいことになる。

聞いてるみんなは、足が痛いから太ももに置いた手を足に食い込ませ・・・
足への負担を少しでも減らすように腰を浮かせて、前傾姿勢をとって脂汗をにじませながら・・・・「早く・・・早く続きをしゃべって、噺を終わらせて下さいよー!足が痛てぇー!」という強烈な視線を一身に受けながら・・・忘れた噺を思い出そうと、あせる演者が、これまた前傾姿勢でにらみ合う。すさまじい、光景。・・・もう、落語を演じる、観る感じではないっすね。縄張り争いをしてにらみ合う野良猫の一群みたいです。客席で「フゥー!」・・・高座で「フゥー!」・・一触即発。

でも、30年たっても笑える思い出。・・・ああいうものは苦しければ苦しいほど思い出になるんだろうなぁ・・やってる最中は、あんなに、くたくたになってたのに。

冬の正座・・・私の思い出に思い違いやお小言があれば、誰か指摘して下さいね。・・・冬の星座のように確かにみんなで見たはずのずーっと遠くの光り輝くあの正座。・・・今回の語呂合わせはあんまりうまくないなぁ。反省。反省。

2010年12月26日日曜日

私の前に道は無い私の後ろに道は出来る・・・じゃない方の「どうてい」

何でそんな話の展開になったのか、すっかり忘れたけど電車で落研の女の子と二人で並んで座ってて・・・・・「大福さんは、童貞ですか?」・・・・・普通、電車でいきなり、そう言うこと聞くか?・・・ほんとになんでそんな話になったのか・・・

当時、20歳ぐらいか・・・恥ずかしながら・・聞かれたとおりの・・(以下は漢字はなんとなく、恥ずかしいのでみうらじゅんさんとか伊集院光さんが言うところの「D・T」と表記)・・D・Tだったので・・しかも女の子が後輩だったので・・・若もんは見栄張るでしょう?・・・夢中でD・Tがばれない答えを考える。

(精一杯の冷静さをよそおって)・・・「どう見える?」
(間髪を入れずに帰ってきた答えが)

「きゃは!そう言うふうに答えるのは、童貞ってことですね」(漢字もどっちゃうね)

その後、どんな会話したのか・・・なーんにも憶えていません。
死んだおふくろに話したかった・・・東京の女の子は、すごいです。

それも・・・はるか昔の出来事であります。
クリスマス明けのドサクサにまぎれて、下ネタの封印を解いてしまいました。

お口直しに、昨日12月25日、水戸市の千波湖で、初冬に1本だけ咲いてた桜の花を見ました。冷たい風の中、頑張ってました。
毎年、この1本だけが咲くそうです。

チェリー・ボーイ

2010年12月25日土曜日

仕事だからやるけどさ・・還暦のじい様ではないっすよ。

デブなら、必ずサンタクロースの格好が似合うという考え方が嫌いです。
事務所で着替え。手に持ってる黒いベルトを締めて出来上がり・・・サンタクロースって外人だろ?ひげの上からのぞく、この顔は、純国産・・・子供の夢、壊すよなぁ。

このブログ見てくだっさた方々に・・・・メリー・クリスマス。

2010年12月22日水曜日

さすが伝助さんよく憶えていらっしゃる・・詳しくは松風亭日常12月21日参照のこと

出囃子についてもさすがによく昔のこと覚えてらっしゃるし、落語家さんが使ってたのとの関連も良くわかります。
こういうことは、自分のこと以外は忘れてしまうものなので、こんな風にブログの記録としても残していただいているとありがたいです。

そう、柳家小三治さんの落語家形態模写なんですけど、確か「東横落語会」だったと思うのですが、立川談志さんが協会を飛び出す直前か直後の会で、柳家小さん・立川談志・柳家小三治 の3人が揃って出演したときがあったんです。私、この会、観てるんですけど小三治さんの後に談志さんがあがることになってて、でも談志さんが例によってまだ来てない。・・・・つなぐために・・では、談志さん来るまで、落語家の形態模写を・・・・と言ったところで、談志さんが来て、スタンバイできて・・・それでは、・・・・ということで、小三治が引っ込んでしまって・・結局、見られなかった思い出があります。・・・・それ以前もそれ以後も高座でみる機会はないです。残念です。

さて、私の同輩の代の出囃子ですけど、
蘭丸君が「さつま」   風公君が「小鍛冶」  松時君が「大漁節」(これは合ってる気がします)
松太君が「おはん」  露慢さんが「どうぞ かなえて」 のん平君「武蔵名物」
扇松君 「佃くずし」  ちなみに にゃんにゃんさんは「梅は咲いたか」 でありました。

こないだ、お付き合いさせていただいてる女の子が、部屋に入ってくるとき、低音の鼻歌みたいなのを口ずさんでたので・・・入場曲か・・・出囃子だなと思いました。でも、よーく聞いてみると・・・・
「どどっ、どっどど・・・どどっ、どっどど・・」と言ってました。・・・なんで、ターミネーターのテーマで入ってきたのか? 本人、自覚がない。わからない?と申しておりました。・・女の人は、わかりません。

忘れてました、私の最初の出囃子は、「野毛山」で、好きなのを使えるようになってからは、お察しのとおり「木賊刈り」使わせていただきました。
・・・・でも、伝助さん、お好きな桂文楽さんの「野崎」は、使わなかったんですね?

2010年12月21日火曜日

ゴトン、ゴトン・・・ゴトン、ゴトン・・・

今頃のシーズンになると思いだす光景がある。

新宿発の小田急線・・たぶん夜、遅い時間の下りの各駅停車・・俺は、下北沢で乗った。
多少混んでた・・冬場の遅い電車には、いつもの光景・・カップル  よっぱらい  勤め帰りのサラリーマン  パート帰りかな、ちょっと疲れたおばさん・・・

その車輌の端にいたカップルの男の方に酔っ払って紙袋を胸に抱えたサラリーマンふうの男が大きな声でからんでいた。
「---あのさぁーー日大知ってるかよ!--えー!だから日本大学だよ!---俺の母校ーー知ってんだろう日本大学!・・・」(意味のわからないからみ方だ)

・・・おとなしそうなカップルは、泣きそうなくらい迷惑そう。「知らないですよ!・・・関係ないですから!。」
(明らかによっぱらいへの対応を間違ってる。落研の同輩の松時(ショータイム)君あたりなら、こんなときは"そーですよねぇ先輩!・・日大・・いい大学ですよね。日本大学ですもんねぇ・・・かなんか言いながら、調子よく抱き合って握手でもして、隣の車輌に手を振って離れてく・・・ぐらいにやり過ごすだろう。)
周りの客も大きな声が迷惑で不快・不快・爆発しそうだ。

どこかの駅で停まって急行通過待ちかドアが開いた。
まだ、からんでた。
「--だからよぉ・・一緒に歌えってんだよ!日大の校歌よぉ!・・」

ドカッ!と何かを蹴る音がして、酔っ払いのサラリーマンが開いたドアから駅のホームに胸から突っ込んで倒れた。見ると少し離れたところにいた若い兄ちゃんが、走ってきてサラリーマンの背中にとび蹴りをくらわせたようだ。
若い兄ちゃんが、電車の中で仁王立ちしながら、ホームに転がってるサラリーマンに向かって叫ぶ。「うるせぇんだよ!日大、日大って・・俺は高卒だ!」

そんとき、俺はホームに転がったサラリーマンの抱えていた紙袋から飛び出したものが、目に入ったんだ。赤と白のサンタクロースの格好をした子供用の人形だった。・・・パチンコの景品か街頭のワゴンセールか何かで買ったのか、むき出しで転がってた。・・・子供さんへのお土産か・・

駅員が飛んでくる。(仁王立ちの若い兄ちゃんと転がってるサラリーマンを見比べながら・・)
「どうしました?」
側にいた、おばちゃんが若い兄ちゃんを指差しながら叫ぶ。
「この人は悪くないんです!・・・悪いのはこの人!(サラリーマンを指差す)

そのとき、倒れていたサラリーマンが、よろよろと起き上がったんだ・・振向きながら小さな声で言った。「----俺は・・俺は・・日大だぞ・・」
その後は、駅員に促されてホームを向こうに歩いていったサラリーマンとドアが閉まって動き出した電車・・・何事もなかったように・・・ゴトン、ゴトン・・ゴトン、ゴトン・・・

酔っ払いのサラリーマンのあの人には、大学時代の栄光の時代、戻れない夢の時代と、子供に安物の人形をお土産にする・・家庭とか生活とか・・いろんなものを背負い込んでるんだろうなぁ。
とび蹴りの兄ちゃんも誰も悪くないけど・・・なんか苦い・・・よくある出来事なんだろうけど、忘れられずに憶えてる光景。もう30年近くまえのこと・・よくあるどうでもいい話。

2010年12月19日日曜日

私も金曜日はつくばにいました。

また、茨城で包丁持ったあんちゃんが暴れた。

私も金曜日は、仕事でつくばエクスプレス沿線開発の・・・TX と略すらしい。・・区画整理実施地区を視察しておりました。
守谷の先の「みらい平駅」・・立浪部屋もあるんだ。 
       「みどりの駅」・・鹿島アントラーズの下部組織のグラウンドもできる。
       「万博記念公園駅」・・芸術は爆発だ!の岡本太郎のモニュメントがひっそりとほんと
                    にひっそりとある。 
       「研究学園駅」・・・・でかいショッピングセンター イーアスつくばが出来てた。新しい
                   つくば市役所もこの近く
       この先が「つくば駅」
秋葉原から快速電車に乗れば、1時間圏内の開発地区。駅前は大きなマンションが出来てるけど、街ができるのは、これから、これから。まばらな分譲地と切り取られた森林と通学するヘルメット中学生・・遠くに筑波山・・・街の統一感もこれから出来てくる・・・・ほんとにこれからだ。

暴れたあんちゃんが、言ってたらしい「柏駅も考えたが人が多すぎた、守谷駅は人少なすぎで、取手でやった・・・」・・・・・街は人が住んで、暮らしがあって出来上がっていく。削られた森林、緑地や家の建っていない分譲地は、風景が寂し過ぎる。

何年かして、この街はどんな街になっているのか。・・つくばスタイル は、どんなふうになっているのか・・・・また来よう。いい街になってて下さい。

2010年12月16日木曜日

カウパー、カウパー・・・今回は下ネタ。取り扱い注意!

つきあってる女の人が唐突に聞く。
「あれ?あれなんて言ったっけ?・・・ほら、この前教えてくれたあれ・・」
「何の話?・・・」
よーく聞いてみて思い出した。あれだ。

女性って・・男性だってそうかもしれないが、確かに存在する言葉だけど、生涯、口にしないかもしれない言葉ってあるよなぁ・・・「あれ」とか「あそこ」とかで代用してしまう体の部位の名称とかそうだし・・・(何か遠まわしな言い方だな)・・・たとえば”だいいんしん”とか”しょういんしん”とか言う言葉なんか、生まれてから死ぬまで言わないで終わってしまう女性とかいるよなぁ

そんな話から始まって・・・男とか・・・「とか」って何よ・・・男はさぁ。興奮するといわゆる「カウパー氏腺液」なんてのが出るのよ。ガマン何とかと言ったりするんだけどね・・・尿道球腺液、男性の尿道球腺から分泌される、弱アルカリ性の粘性がある無臭無色透明な液体。んでさぁ・・これを始めて医学論文かなんかに載せたのがウィリアム・カウパーっていうイギリスのお医者さんでその人の名前をとって、「カウパー氏腺液」と呼ばれるらしいんだけどね。

みうらじゅんさん が言ってたけど、男なんてこんなの発見される前から興奮してこんなの出るのなんて、みーんな知ってたけど・・・・カウパーなんて名前が付いたから・・・エロ本とかまわし読みしてると・・・「おっ!お前・・カウパー出てるんじゃねーか?」なんて使われるようになって・・・

イギリスとかにカウパーなんて姓の人がどれぐらいいるかわからないけど、・・・子供転校とかして「今度、転校してきました。カウパーです。・・・」なんて言っただけで「・・・カウパーだって!もう出てきたぞ!」それだけで笑われたりしないんだろうか?・・・・ああ言うものに人の名前つけちゃいけないよなぁ・・・・

なんて話を彼女にしたんだった。
「そう!思い出した!・・カウパー!カウパー!(手をたたいて、きゃっ、きゃっと笑ってました。)」

そんな彼女を見て、この人と結婚したいなぁと思いました。

(本日の反省)
下ネタは、難しい。こういうのはしばらく封印しよう。失礼しました。今後は気をつけます。ごめんなさい。

2010年12月14日火曜日

伝助さん・・もとい・・風柳師匠、お久しぶりです。

俺みたいなもの、・・・俺の屁みたいなブログを取り上げていただいてありがとうございます。

グーグルの検索で「松風亭日常」入力すると1番目に伝助さん(あえて昔のように伝助さんと呼ばせていただいて・・)のブログ出てきますけど、私の「夢三亭大福それなりに一所懸命」長いの全部入れても検索にひっ掛かりません。年期と内容の重みが違いますね。・・・今後ともよろしくお願いします。

牛丼君には、変わってなくて安心したけど、少し心配だと言われました。・・・うまく・・年齢相応の人格形成ができてない・・・そんなたいしたもんでもないですね・・・・思い出の中から抜け出てない・・そういうとこで、心配してもらっているようで・・・まったく持って・・めんぼくない。

でも大丈夫です。伝助さんも牛丼君もそうでしょうけど、現実とか日常とかと折り合いをつけて何とか日々をすごしているのは、おんなじ・・・思い出に逃げ込んでいるわけではないっす。

少し昔、私の1代前の落語研究会代表、酒合丈さんとOBの集まりか何かでの飲み会で会った時の第一声が「なぁ・・だから大福も(ほんとは、私の苗字で呼んでます)代表やってよかったろう?!」
大学出てから、数十年・・第一声がそれ・・ですか。・・・ああ、いいなぁ・・この人も気持ちはまだ現役・・まだ落語研究会にいるんだなぁ・・・「はい。良かったです。」(酒合丈さんと・・みんなと・・落研やれて・・)

伝助さんも川崎行かれたりするようですが、私も何年かごとに、生田のアパート・・・下北沢、もとい・・新代田(見栄張って若者の街で有名な下北沢と言ってしまいました。ほんとは隣の新代田です。)・・のアパートのあたりを訪ねます。
どっちもアパートは取り壊されたり建替えたりして昔の面影は少しだけです。

だけど、もしかしたらあの角曲がったら・・バイト帰りのにゃんにゃんに会えたり・・露満さんと風公君が、並んで歩いてたり・・・・牛丼君に新聞広告の裏に書いた映画のシナリオを読んでもらおうと走ってる俺がいたりしないかと・・・・探してみますが・・・もう、30年たつのですね。

でも、行き詰ると・・・ここで、大日本印刷の日払いのバイトに通いながら・・・落語研究会を卒業した後の行き場の無いジタバタした日々を思い出すために下北沢・・・しつこいなぁ。ほんとは新代田・・・見に行きます。俺、駄目になったらここからまた始めればいいんだ。と思ってました。

2010年12月12日日曜日

落語家になりたいなんて思ったことなかった。

俺の思う落語家さんは・・・江戸っ子で酒が強くて・・気配りが出来て・・漫才やコントやほかの演芸の分野と互しても、しゃべりでは負けることなんかなくて(多弁じゃなくても的確にという意味でも)・・・座持ちがよくて・・高座姿がきれいで・・・・・もちろんその人の噺を聞くためなら、お客は時間もお金も出すのは、ちっとも惜しくない・・・そんな風になりたいと思ってる人だと思ってた。

だから、落語家さんになりたいと思ったことはなかった。

だけど、落語も落語家さんも、大好きだった。

昔、落語研究会で知り合ってつきあった女の娘に、別れてずいぶんたってから「落語会の券が手に入ったよ。古今亭志ん朝だよ。行かない?」と誘ったら・・・「落語はもう、いいです。」と言われた。
あの頃、一緒に落語を見てた・・同じ夢?大げさか・・持ってた仲間だった人は、あの志ん朝で「落語は、もういい。」なんて言う想定は持ってなかった。・・・・「あんたなんかにもう会う気はない。」と言われたほうがよっぽど良かった。・・・なんかが変わってることに気が付いていなかった。昔の仲間は、そのまんまの姿で、そこにいると思っていた。

人は変わるのが、あたりまえ・・・なんでか、俺はうまく変われない・・。でも落語・・いいよなぁ?
平成22年12月10日金曜日、上野広小路亭「ダンス・ダンス・談修」 立川談修独演会、見てきてそんなことを思い出して・・・そんなことを考えた。

(参考)
当日の出演者と演題
立川 らく太  「唖の釣り」
立川 談修   「しの字嫌い」
         「三方一両損」
――――――― 中入り ――――――
立川 談修  「蒟蒻問答」

2010年12月11日土曜日

みんなが全員忘れた出来事は、起こらなかったことと同じだから・・・それは悲しいから

憶えてることは、書いておくのだ。・・・そんなことが、ほんとにあったんだ。
あの日、俺は生田のアパートで夜更かしをしていたんだ。
そこへ、訪ねて来たのが風公君だった。付き合ってた彼女が少し離れた生田のアパートに住んでたんで、下北沢から遊びにきてたんだ。

血相変えて、俺の部屋に飛び込んできた。
「彼女がいなくなった!」
理由は、聞かないけど喧嘩かなんかして、彼女が部屋を飛び出した・・・・真冬の空の下・・ではなかったな夏だったと思う。

「あの娘は、思いつめる性質だから、危ない!・・・かもしれない・・」
「心当たりは、無いの?」
・・・・・・「江ノ島」

二人で、生田駅から小田急線 片瀬・江ノ島行きの最終電車に飛び乗った。
終電で着いた江ノ島は、人気も無く暗かった気がする。
暗い駅の周辺をぐるぐる探しながら・・二人で当たりつきの自動販売機で缶コーヒーを買おうとして、俺が当たって、当たった1本を風公君にあげたんだ・・・・そうだったよね。

二人で、コーヒーを飲みながら・・・彼が取り出したショートホープに、たぶんジッポかなんかのライターで火をつけた。うまそうに吸って・・・煙を吹き出した。・・・疲れた顔にタバコがうまそうだった。
「1本・・くれる?」
火をつけてもらって吸った生まれてはじめてのショートホープ・・・頭がくらくらした。

見つからない彼女と・・・クラクラした頭・・・夜中は、駅舎のベンチで横になっていたと思う。眠れるわけは無いけれど・・・暴走族?・・・バイクの集団が何度か深夜の駅前を通り過ぎ・・・

薄っすら、明るくなったきたころまた、近くをぐるぐる探しながら・・せめて、朝日の・・日の出ぐらい見ようとずーっと海を見ていたら裏側から太陽が昇った。・・・疲れて・・・疲れてなくてもそんなもんか・・・東も西もわからなかった。

あきらめて・・・始発の電車で生田に戻った。疲れた体と潮風とタバコの・・顔や手がべたべたになった感じがした。行きも長く感じたけど・・・帰りも長かった。

タバコは、それから吸い始めて20年ぐらい吸ってた。あれが最初だったと思う・・・・江ノ島駅で毎日新聞の記者の人が暴走族かなんかの若者に暴行を受けて亡くなったのは、それから何年か後のことだった。

生田に帰って彼女のアパートを確認した風公君から
「彼女が部屋で大の字になって寝ていた」という報告を受けた。いやみでなく、良かったと思った。
風公君と二人で笑った。そのまま彼は下北沢に帰っていった。

確かにそんなことがあったんだ。・・・・あれから30年近く・・・彼女は群馬県で風公君ではない人と結婚しているはずだ。・・・・・いいお母さんになっていることでしょう。・・・・だけど・・ほんとに二人でほんとに心配して江ノ島駅を歩いた夜があったんだぜ。

2010年12月8日水曜日

ラブホテルで立川談志10時間・・あれは、おととし。

平成20年の3月にNHKのBSハイビジョンで立川談志さんの特集番組が放送された。
BSハイビジョンで10時間・・・・当時・・・今もだけど、この築25年をはるかに超えるアパートの・・・私の地上波番組しか受信できない14型のブラウン管テレビでは、観られないわけで・・・

どうしても、この番組は観ておきたい。さて、どうしたもんかと考えて、ネットで近所のラブホテルを調べると、NHKBSハイビジョンが観られるホテルがあった。
録画用のビデオデッキと接続コード、生テープ等をバックに詰めると、すべるように車でホテルへ・・男一人では、泊めてくれないとかいう噂を聞いていたけど・・・フロントを通さないタッチパネル式のチェックインだったので誰にも会わず部屋に・・・・

あ、一応説明しますけど・・・私は、当時も・・今も独身、独り者であります。
つきあってる女性は居ても、一緒にこんなとこ入ったら、談志さんの番組に集中なんて出来ない・・やっぱり今日は、どんなパンツはいてるのか確かめたりしてしまうわけで・・

でも、そのホテルのAV設備・・・アダルトビデオのAVじゃなくて・・・オーディオビジュアルの方ね・・は、番組の映像をプロジェクターでスクリーン画面に映す方式ので、部屋の家具にぴったり据付られてて、放送の受像機の裏側とかコードの差込とかふたがされてて、持ってったビデオデッキとの接続は無理でであることが判明・・・・・何としても映像が駄目なら画像で残そうと持ってたデジタルカメラでスクリーンに映った画像を撮影するという・・・昔、テレビの歌番組をコード接続せずにカセットテレコで録音してた中学生みたいな作戦に出た。結構たくさん撮った、撮った。

悲劇(喜劇?)はここで起こる。だいたいこんなところに居るときに限って、付き合ってる女の子から携帯に電話が入る。・・・・どこにいるの?と聞かれれば、正直な俺は、「ラブホテルに居る」と答える。・・だって本当なんだもん。・・・だけど、談志さんの番組をひとりで10時間観てるということが信じてもらえない・・・「ラブホテルというところは、そうゆうことをするためのものじゃない!と・・そういうことって何・・・」けんかになりそうな状況の中・・・頼むから談志さんに集中させてくれよ・・・

俺は、何をやってんだ・・・悲しくなって・・可笑しくなって・・・やっぱり、俺はアホだ。・・・談志さんの「芝浜」、生で聞きたかったなぁ・・・今となっては。

2010年12月2日木曜日

俺の「夢の寄席」?

開口一番 楽家にゃんにゃんさんに「かぼちゃ屋」(これ習ったよな?たぶん・・)
続いて   松風亭松太さんの・・・「サバ講釈・・・桑名舟かな」(バタバタ・・やかましい、やかましい)
お次が   松竹亭悟空さんの・・・・・・「唖の釣り」
       小酒家酒合丈さんの・・・・「八五郎坊主」(元が枝雀さんのを関西弁で覚えて、江戸弁に直してるからどこの郷の言葉なのかわからん、わからん)
そんなのあったか?・・・・・・・松風亭風。鈴(プリンね。)さんの「ん廻し」・・途中かぜとまんだらの手品が入る。
そろそろな仲入り?松風亭風公さんの「反対車」(亀に抜かれる病み上がりの車引きさんが真に迫る)
ほんとの仲入りは、夢三亭蘭丸さんの「二番煎じ」でお願いしたい。
ーーーーーーー 仲入り -------
ここでいきなり、松風亭扇松さんの「南京玉すだれ」~の「近日息子」
          月見家露漫さんの「金明竹」・・・与太郎噺かぶりにかぶってるけど・・いいか
         松竹亭松時(ショータイムね)さんの・・新作「流通業界の噺、私NHKでました。」(なんじゃこれ・・でもNHKでたんでしょ?支店長頑張れ!)
         松竹亭のん平さんの薬師丸ひろこ 守ってあげたい(独唱)・・・色物か?
         忘れてた楓さん「初天神」(あめ!飴!飴買ってくれー!!!!)
待ってました、
         松風亭風柳こと伝助さんで・・・「猫の災難」・・・盛り上がってきたところで

         忘れてない松竹亭八海さんで、パンツ一丁での乱入。北海の珍味をばら撒きながら客席をまわる。
         世の介さんが、OBを引き連れて乱入・・・・弥っ太さんがチチヤス牛乳をばら撒きながら乱入、客席大混乱・・・みんな疲れていくらか収まったところで・・・

         本日の真打・・・夢三亭大福師匠の登場・・「芝浜」・・・客席、涙・涙
鳴り止まない拍手の中・・・寄席では異例のアンコール!・アンコール!の声
まんをじして再登場した大福・・・・しゃべり始めた噺は・・・

 「しわいや」(なんじゃそりゃ?・・お前さん、これだけは離しちゃあいけないよ・・・)場内どっちらけ

大福の「夢の寄席」でした。みなさん元気かなぁ・・・・
         

2010年12月1日水曜日

夏合宿は、いわたに旅館。冬合宿は東や旅館。

なんかの拍子に、大学2年のときの手帳が出てきた。
春合宿は、それぞれの年毎に変えてたけど・・
夏合宿は、静岡県賀茂郡河津町 いわたに旅館
冬合宿は、伊豆長岡の 東や旅館・・・・今もあるのかなぁ

メモには、夏合宿は、5泊6日 風呂代込み3,700円とある・・こんなに長い合宿だったっけ?
東京駅12番ホーム 1981年9月7日~12日まで・・・

なんだこのメモ・・・脂性(あぶらしょう)で、体の半分が脂だったアメリカの大統領・・・アブラ・ハンブン・リンカーン・・・何、考えてたんだか・・・

1981年11月1日(日)鳳祭1日目
      11月2日(月)鳳祭2日目
      11月3日(火・祝日)鳳祭3日目
          4日(水)
         5日(発声練習・・・升形山まで走っての発声練習・・・「高崎の北~ぁ北高崎~・・」
           早口言葉を、ゆっくり大きな声で叫ぶ!・・・何のための早口言葉。・・そんなこと     をやってたな。アホだ。
        6日(金)券売・・・・専大寄席の入場券をキャンパス内で売ってたんだなぁ
        7日(土)リハーサル・・専大寄席のリハーサルだな
         8日(日)昔噺の会(本牧亭)・・・まだ、本牧亭があったころ・・・昔噺の会は、今でもバリバリやってらっしゃる。
・・・・・・・・・・・で、11月14日(第17回専大寄席(山野ホール・・ここも今は無い)

こんな、一週間だったようだ。・・・懐かしい・・・ほとんど忘れてるけど。

えっ?・・・金原亭馬生はどうしたってか?・・・聞き直したよ。笠碁・・茶金・・そば清・・・錦の袈裟
おもしろいよね、錦の袈裟の与太郎なんてすごいキャラクター・・・茶金の京都弁変だぞ・・笠碁、独特の間がいいって・・・言葉つまってんだぞ、これたぶん・・・でもおかしいの、みーんな。・・お初徳三郎とかおもしろいらしいから聞いてみようと思う。・・・・いいんだおもしろければ。落語ってそんなもんだ。

本の方は、まだ途中。読み終わんない。・・・でも馬生さんのお弟子さんとか、やっぱり師匠の出囃子・・「鞍馬」とかを談志さんの弟子が使ってる・・気に食わない。なんてのあるんだな。難しい世界だな。・・・・こっちっかわの我々、には関係ない話だけど・・・頑張れ談春・・・

デンスケさん。ありがとうございます。おかげで馬生さんまた聞き返すきっかけになりました。おもしろいです。

2010年11月27日土曜日

うーん・・十代目金原亭馬生なんですね。

「松風亭日常」・・デンスケさんのブログで十代目金原亭馬生への熱い思いが語られており
私は、・・・俺とか私とか・・・一人称が変わるな俺・・・、勉強不足なのか馬生(あくまで十代目、当代の十一代目はあんまり聞いたことが無い)さんで、いいなぁと感じたことが、あんまりない。

「十代目 金原亭馬生----噺と酒と江戸の粋」買って来ました。これから読みます。
若干、持ってる馬生さんの録音も聞いてみます。笠碁、そば清・・あと何本か・・・
俺も、思い入れ共有できるかなぁ

続きは、読んで聞いてから

2010年11月22日月曜日

八海さんのカセットテープ

今、落語のCDやらDVDやらいっぱい売り出されてて、ありがたいことなんですけど・・・
立川談志さんとか、ものすげえ量のCD、DVDがシリーズで出てきて・・・・そのほか落語研究会だの東横落語会だの志らくさんのもシリーズで出てきたし・・・時代が変わったある意味バブル状態。

俺ら学生の頃は、シリーズで一人の落語家さんのカセットテープ(そう、当時はCD、ましてDVDなんて無かったし・・)なんてそんなに発売されてなかったし・・・円生百席だって全部持ってる友達なんていなかった。・・だいたい、持ってる人のカセットテープをダビングしてもらう・・・ラジオの放送を録音する・・テレビも録音(録画ではない・・・VHSのビデオデッキなんか持ってたのは・・・牛丼君ぐらいだったし)・・・・そうだ牛丼君、俺たちの落語研究会がNHK昼のプレゼントだっけ?出たときの録画なんて残ってないかな?・・・・ないよな30年も前の録画なんて)

そう、先輩の八海さんの落語のテープが頼りでしたよね。覚えたい噺、聞いてみたい噺は八海さんから借りたもんでした。・・・・・桂文楽さんの噺はデンスケさんでしたけどね。
談志さんの首提灯・・・黄金餅・・・・よかちょろ・・・二階ぞめき・・・・みんな八海さんのテープだ。

そのうち、自分もダブルカセットのラジカセ買って、カセットテープは電気屋さんで箱買いして、ダビング・・ダビング・・・ダビング。ラジオも録音・録音・録音・・・・録った音源は大事に大事に聞いたもんだった・・・・八海さんなんか山野ホールの発表会とラジオの落語の放送が重なった時なんか、会場にでかいWカセットテレコ持ち込んで録音してたもんだ・・・・・?うん?録音タイマーってなかったのか?・・・まあ、いいか。

それなのに、今じゃ買ってある談志さんのDVD見てない・・・春風亭昇太さんのCD聞いてないのが2枚もある、志ん朝全集も小三治さんのドキュメンタリーも・・・・あんなに聞きたくて聞けなかった、観たくて観られないものが、観られる、聞けるようになったのに・・・・・・そうか、俺が変わったのか。

2010年11月20日土曜日

嬉しいな。牛丼君からメールが来た。

ブログ始めたぞ。というお知らせのメールを送ったら久しぶりに夢三亭牛丼君からメールが来た。
すげーぇ 嬉しかった。

牛丼君の持ちネタ「居酒屋」とか「二番煎じ」とか大好きでした。
居酒屋は先代の金馬さんで覚えたのかな・・・・二番煎じは、志ん朝さんかな?これから寒い季節になると、思い出す噺だなぁ・・・狛江だっけか和泉多摩川?の牛丼君のアパートによく集まったっけ。
俺は、泊めてもらっても靴下脱がないで寝た。朝おきて一度脱いだ靴下をもう一度履くのが何となくいやで・・・・・変なこと覚えてるもんだ。

デンスケさんが、盗んだ自転車で転んで、何日も居残りした・・・あのアパートはもう無いのかな?

がんばれ!牛丼。大福もそれなりに頑張るぜ。心配することなんて、何も無い。

今日は、懐かしい友達に、ありがとう。

2010年11月17日水曜日

「けんびし」って?・・・

あの、八日目の蝉 の作家、角田光代さんのエッセイ「これからはあるくのだ」の中に、こんな話が出てくる。

 彼女が大学生の頃に、所属していた演劇サークルの先輩から、ほかの劇団の公演の陣中見舞いに、酒を届けてこい。ついては、「けんびし」にしてね。と言われる。
彼女は酒屋に行きワインのビンをつかんでレジに行き、「これを、けんびしにして下さい。」と店員にだす。・・・・・はぁ?いぶかしげな店員・・・・だからけんびしにしてって。・・・・・

 彼女は、酒ビンをラッピングして祝公演とかなんとか書いたお祝いののし紙を貼ることが「けんびし」にすることだと思っていたわけで・・・それから10数年たって、ふらりと入った酒屋さんで「剣菱」という酒を見つける、そのとき初めて「けんびし」が「剣菱」というお酒であることを知る。・・・そんな話。
 そうなんだよね。あのころ私が所属していたサークルも・・・・落語研究会ですけどね・・・
他大学の発表会に持っていった日本酒は、なぜか「剣菱」だった。渉外を担当していた松風亭風公君が、他大学に出かけていくときは、「剣菱」持ってったっけ。

 私は、相変わらずの下戸で酒は飲めないけど・・・・・剣菱は飲まされたことあったっけかなぁ?

2010年11月16日火曜日

新代田駅とショートホープ

学生の頃、友人のにゃんにゃんという女の子が住んでいた・・・・まだ、にゃんにゃんという言葉があんまり猥褻な意味を持っていなかったころ・・・その子はにゃんにゃんという名前だったんだ。・・・・新代田駅の近くの彼女のアパートによく通った。・・・夕方からスーパーのレジのバイトをしていた彼女が、バイトを終わる頃・・・・3畳一間の彼女の部屋を訪ねて、スーパーでもらってきた惣菜の夕ご飯を御馳走になり・・・もう、何の話をしたのか思い出せないけど・・・話をして終電近くに自分のアパートに帰る。そんなことを繰り返した。

アパートの部屋には、固定電話もなかった・・大家さん宅の電話にかけて呼び出してもらう時代だったんだ。・・・・部屋を訪ねて留守だと当時、吸っていたタバコ、ショートホープの内箱にマッチの燃えさしの炭の部分で、メモを書いて部屋のドアに差し込んで訪問を知らせた・・・ショッポ通信と呼んでいた。

タバコをやめてもう10年がたつ、彼女のアパートを訪ねていたころから、もう30年近く・・・・・・
たぶん、いいお母さんになっているだろう・・・
もう、ショートホープのにおいも忘れた。

2010年11月13日土曜日

桜田門外ノ変

映画見ましたけどね。

武士だって茨城弁使ってたでしょう、昔だって。
何で今、桜田門外ノ変 なのか。

言いたいことは、たくさんあるけど、知り合いの息子さんが役者さんで映画出てたり、事件に参加した鯉渕要人というひとが、実家の近くの神官の先祖だったりして・・・まあ、そういう意味では、ばかな盛り上がり・・・私のまわりでは、ですけど。

 だいたい、私の出た工業高校では、日本史やってなかったし、・・・えっ?中学で習うでしょ?安政の大獄とか桜田門外ノ変ってか?・・・そう?
 せっかちで、お先走りの水戸っぽ らしく・・やっちゃたんだわね。時代に先駆けて。職場の後輩は、「やっぱり、生き残って・・・大政奉還とかやってた方の勝ちですよね・・生き残ったものの勝ち。」って言ってました。・・・賛成はしないけど・・・誰かが何かやらないと時代動かないこともあるし・・・歴史の意味は後付けだしね・・・自分たちがしたことの意味なんてその時にはわからない。
 でも職場の後輩と、そんな話が出来たのは、そんで、そのことについて歴史の意味なんて考えさせられたのは、この映画があったからですわね。
 だけど・・・・盛り上がってるのは、茨城県のある一定の年代以上の一部なんでしょうか。

2010年11月10日水曜日

橘家円蔵 8代目といえば

専修大学落語研究会の顧問だった七代目の橘家円蔵 師匠・・・さん・・円蔵(呼び捨て)?・・この際は師匠にしとこう・・円蔵師匠が亡くなって1980年ころか・・さてどなたに後任をお願いするか、となってその年のみな好き会は・・当時の月の家円鏡の現在の八代目円蔵師匠に補導出演して貰って、こういうのは今回限りと言われて・・・どういう経過か・・・三笑亭夢楽師匠を紹介されたのかな・・・このあたりの経緯は当時の代表に聞いとけばよかったなぁ。・・こういうとこでは代表の名前とか表記しちゃいけないのか・・・

 その夢楽師匠もなくなられて、現在は小文治師匠が顧問をやっていただいているのかな・・・・だんだん昔のことを覚えてる人もいなくなり・・・・っていうほどの歳でもないな。

このブログ、なんかの間違いで、昔のことをよーく知ってる先輩とか見てたらその辺のところ教えてくんないもんかな。・・・・・・まぁ無理か。

この間の橘家玉蔵 独演会 に円蔵師匠が出ておられたので、ふとそんなことを思ってしまいました。 もう寝よう。

2010年11月9日火曜日

うまく歳をとれなかった

 とりあえず、松風亭日常さんのブログで、ちゃんと読ませていただいてますよ。ということをお伝えしたくて読者になろうとしたら、自分でもブログを立ち上げてしまいました。

 もう、歳も歳なのでのんびりいきます。その歳になったら就職し、その年頃には結婚し、子供をつくり、歳が行けば老後の設計をし・・・・なんてな、歳のとり方をしてこなかったので・・・これからどうしたものか・・日々考えたことでもまとめていこうかと思っています。ブログって日記みたいな、備忘録みたいなもんでいいんでしょう?・・・って誰に聞いてのか・・・・相変わらずの出たとこ勝負。手探りです。

 ここんとこあったことといえば、平成22年10月31日 さいたま市産業文化センター 橘家玉蔵独演会 行ってきました。恐れ多い先輩方が専修大学のそろいのウィンドブレーカー着て会場整理とかやってらっしゃたので・・・・私は、お忍びで・・・すみっこの方を目立たないように・・・そーっと。
 色々と考えさせられました。でもいくつになっても落語とつながってる人たちは、いいっすね。特に演じる側にいようとする方々は。帰りの時間の関係で最後までいられませんでしたが、懐かしい先輩方の顔も見られたし・・・・・・さすがに同輩や直近の先輩方はお見かけしませんでしたけど。
 あの、懐かしい時代の日々を引きずってる先輩方がいることが、うれしかったです。