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2010年11月27日土曜日

うーん・・十代目金原亭馬生なんですね。

「松風亭日常」・・デンスケさんのブログで十代目金原亭馬生への熱い思いが語られており
私は、・・・俺とか私とか・・・一人称が変わるな俺・・・、勉強不足なのか馬生(あくまで十代目、当代の十一代目はあんまり聞いたことが無い)さんで、いいなぁと感じたことが、あんまりない。

「十代目 金原亭馬生----噺と酒と江戸の粋」買って来ました。これから読みます。
若干、持ってる馬生さんの録音も聞いてみます。笠碁、そば清・・あと何本か・・・
俺も、思い入れ共有できるかなぁ

続きは、読んで聞いてから

2010年11月22日月曜日

八海さんのカセットテープ

今、落語のCDやらDVDやらいっぱい売り出されてて、ありがたいことなんですけど・・・
立川談志さんとか、ものすげえ量のCD、DVDがシリーズで出てきて・・・・そのほか落語研究会だの東横落語会だの志らくさんのもシリーズで出てきたし・・・時代が変わったある意味バブル状態。

俺ら学生の頃は、シリーズで一人の落語家さんのカセットテープ(そう、当時はCD、ましてDVDなんて無かったし・・)なんてそんなに発売されてなかったし・・・円生百席だって全部持ってる友達なんていなかった。・・だいたい、持ってる人のカセットテープをダビングしてもらう・・・ラジオの放送を録音する・・テレビも録音(録画ではない・・・VHSのビデオデッキなんか持ってたのは・・・牛丼君ぐらいだったし)・・・・そうだ牛丼君、俺たちの落語研究会がNHK昼のプレゼントだっけ?出たときの録画なんて残ってないかな?・・・・ないよな30年も前の録画なんて)

そう、先輩の八海さんの落語のテープが頼りでしたよね。覚えたい噺、聞いてみたい噺は八海さんから借りたもんでした。・・・・・桂文楽さんの噺はデンスケさんでしたけどね。
談志さんの首提灯・・・黄金餅・・・・よかちょろ・・・二階ぞめき・・・・みんな八海さんのテープだ。

そのうち、自分もダブルカセットのラジカセ買って、カセットテープは電気屋さんで箱買いして、ダビング・・ダビング・・・ダビング。ラジオも録音・録音・録音・・・・録った音源は大事に大事に聞いたもんだった・・・・八海さんなんか山野ホールの発表会とラジオの落語の放送が重なった時なんか、会場にでかいWカセットテレコ持ち込んで録音してたもんだ・・・・・?うん?録音タイマーってなかったのか?・・・まあ、いいか。

それなのに、今じゃ買ってある談志さんのDVD見てない・・・春風亭昇太さんのCD聞いてないのが2枚もある、志ん朝全集も小三治さんのドキュメンタリーも・・・・あんなに聞きたくて聞けなかった、観たくて観られないものが、観られる、聞けるようになったのに・・・・・・そうか、俺が変わったのか。

2010年11月20日土曜日

嬉しいな。牛丼君からメールが来た。

ブログ始めたぞ。というお知らせのメールを送ったら久しぶりに夢三亭牛丼君からメールが来た。
すげーぇ 嬉しかった。

牛丼君の持ちネタ「居酒屋」とか「二番煎じ」とか大好きでした。
居酒屋は先代の金馬さんで覚えたのかな・・・・二番煎じは、志ん朝さんかな?これから寒い季節になると、思い出す噺だなぁ・・・狛江だっけか和泉多摩川?の牛丼君のアパートによく集まったっけ。
俺は、泊めてもらっても靴下脱がないで寝た。朝おきて一度脱いだ靴下をもう一度履くのが何となくいやで・・・・・変なこと覚えてるもんだ。

デンスケさんが、盗んだ自転車で転んで、何日も居残りした・・・あのアパートはもう無いのかな?

がんばれ!牛丼。大福もそれなりに頑張るぜ。心配することなんて、何も無い。

今日は、懐かしい友達に、ありがとう。

2010年11月17日水曜日

「けんびし」って?・・・

あの、八日目の蝉 の作家、角田光代さんのエッセイ「これからはあるくのだ」の中に、こんな話が出てくる。

 彼女が大学生の頃に、所属していた演劇サークルの先輩から、ほかの劇団の公演の陣中見舞いに、酒を届けてこい。ついては、「けんびし」にしてね。と言われる。
彼女は酒屋に行きワインのビンをつかんでレジに行き、「これを、けんびしにして下さい。」と店員にだす。・・・・・はぁ?いぶかしげな店員・・・・だからけんびしにしてって。・・・・・

 彼女は、酒ビンをラッピングして祝公演とかなんとか書いたお祝いののし紙を貼ることが「けんびし」にすることだと思っていたわけで・・・それから10数年たって、ふらりと入った酒屋さんで「剣菱」という酒を見つける、そのとき初めて「けんびし」が「剣菱」というお酒であることを知る。・・・そんな話。
 そうなんだよね。あのころ私が所属していたサークルも・・・・落語研究会ですけどね・・・
他大学の発表会に持っていった日本酒は、なぜか「剣菱」だった。渉外を担当していた松風亭風公君が、他大学に出かけていくときは、「剣菱」持ってったっけ。

 私は、相変わらずの下戸で酒は飲めないけど・・・・・剣菱は飲まされたことあったっけかなぁ?

2010年11月16日火曜日

新代田駅とショートホープ

学生の頃、友人のにゃんにゃんという女の子が住んでいた・・・・まだ、にゃんにゃんという言葉があんまり猥褻な意味を持っていなかったころ・・・その子はにゃんにゃんという名前だったんだ。・・・・新代田駅の近くの彼女のアパートによく通った。・・・夕方からスーパーのレジのバイトをしていた彼女が、バイトを終わる頃・・・・3畳一間の彼女の部屋を訪ねて、スーパーでもらってきた惣菜の夕ご飯を御馳走になり・・・もう、何の話をしたのか思い出せないけど・・・話をして終電近くに自分のアパートに帰る。そんなことを繰り返した。

アパートの部屋には、固定電話もなかった・・大家さん宅の電話にかけて呼び出してもらう時代だったんだ。・・・・部屋を訪ねて留守だと当時、吸っていたタバコ、ショートホープの内箱にマッチの燃えさしの炭の部分で、メモを書いて部屋のドアに差し込んで訪問を知らせた・・・ショッポ通信と呼んでいた。

タバコをやめてもう10年がたつ、彼女のアパートを訪ねていたころから、もう30年近く・・・・・・
たぶん、いいお母さんになっているだろう・・・
もう、ショートホープのにおいも忘れた。

2010年11月13日土曜日

桜田門外ノ変

映画見ましたけどね。

武士だって茨城弁使ってたでしょう、昔だって。
何で今、桜田門外ノ変 なのか。

言いたいことは、たくさんあるけど、知り合いの息子さんが役者さんで映画出てたり、事件に参加した鯉渕要人というひとが、実家の近くの神官の先祖だったりして・・・まあ、そういう意味では、ばかな盛り上がり・・・私のまわりでは、ですけど。

 だいたい、私の出た工業高校では、日本史やってなかったし、・・・えっ?中学で習うでしょ?安政の大獄とか桜田門外ノ変ってか?・・・そう?
 せっかちで、お先走りの水戸っぽ らしく・・やっちゃたんだわね。時代に先駆けて。職場の後輩は、「やっぱり、生き残って・・・大政奉還とかやってた方の勝ちですよね・・生き残ったものの勝ち。」って言ってました。・・・賛成はしないけど・・・誰かが何かやらないと時代動かないこともあるし・・・歴史の意味は後付けだしね・・・自分たちがしたことの意味なんてその時にはわからない。
 でも職場の後輩と、そんな話が出来たのは、そんで、そのことについて歴史の意味なんて考えさせられたのは、この映画があったからですわね。
 だけど・・・・盛り上がってるのは、茨城県のある一定の年代以上の一部なんでしょうか。

2010年11月10日水曜日

橘家円蔵 8代目といえば

専修大学落語研究会の顧問だった七代目の橘家円蔵 師匠・・・さん・・円蔵(呼び捨て)?・・この際は師匠にしとこう・・円蔵師匠が亡くなって1980年ころか・・さてどなたに後任をお願いするか、となってその年のみな好き会は・・当時の月の家円鏡の現在の八代目円蔵師匠に補導出演して貰って、こういうのは今回限りと言われて・・・どういう経過か・・・三笑亭夢楽師匠を紹介されたのかな・・・このあたりの経緯は当時の代表に聞いとけばよかったなぁ。・・こういうとこでは代表の名前とか表記しちゃいけないのか・・・

 その夢楽師匠もなくなられて、現在は小文治師匠が顧問をやっていただいているのかな・・・・だんだん昔のことを覚えてる人もいなくなり・・・・っていうほどの歳でもないな。

このブログ、なんかの間違いで、昔のことをよーく知ってる先輩とか見てたらその辺のところ教えてくんないもんかな。・・・・・・まぁ無理か。

この間の橘家玉蔵 独演会 に円蔵師匠が出ておられたので、ふとそんなことを思ってしまいました。 もう寝よう。

2010年11月9日火曜日

うまく歳をとれなかった

 とりあえず、松風亭日常さんのブログで、ちゃんと読ませていただいてますよ。ということをお伝えしたくて読者になろうとしたら、自分でもブログを立ち上げてしまいました。

 もう、歳も歳なのでのんびりいきます。その歳になったら就職し、その年頃には結婚し、子供をつくり、歳が行けば老後の設計をし・・・・なんてな、歳のとり方をしてこなかったので・・・これからどうしたものか・・日々考えたことでもまとめていこうかと思っています。ブログって日記みたいな、備忘録みたいなもんでいいんでしょう?・・・って誰に聞いてのか・・・・相変わらずの出たとこ勝負。手探りです。

 ここんとこあったことといえば、平成22年10月31日 さいたま市産業文化センター 橘家玉蔵独演会 行ってきました。恐れ多い先輩方が専修大学のそろいのウィンドブレーカー着て会場整理とかやってらっしゃたので・・・・私は、お忍びで・・・すみっこの方を目立たないように・・・そーっと。
 色々と考えさせられました。でもいくつになっても落語とつながってる人たちは、いいっすね。特に演じる側にいようとする方々は。帰りの時間の関係で最後までいられませんでしたが、懐かしい先輩方の顔も見られたし・・・・・・さすがに同輩や直近の先輩方はお見かけしませんでしたけど。
 あの、懐かしい時代の日々を引きずってる先輩方がいることが、うれしかったです。