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2014年12月29日月曜日

第3回げいぶん寄席・・・・くずれない方の元落研・・・・若かった

もう、26日に仕事納めも済んで、あとは職場施設の清掃が29日に・・業者さんに頼んであるので、その立ち合いが済めば、ほんとに仕事は今年もおしまい。
そんな、12月27日の土曜日に水戸市常陽囈文センターで「第3回げいぶん寄席」を見てきた。

社会人落語の会・・・・あの池田の「社会人落語日本一決定戦」で日本一になった高校の先生とかその方の落研の先輩にあたる・・・これも決定戦で2位だか3位だかになった方がでてる。・・・・・俺のように落研くずれではなく・・・・ちゃんとした元落研さん
ほかにも、たぶん学校の先生と思われる方とか、もとラジオのアナウンサーだった方とか、ちゃんとした方々が出てる(「ちゃんとした方」ってなんだ?って話だけど・・・ちゃんとしてるんだ)

説明を追加
演題からしてちゃんとしてるでしょう?

















で、この方の羽織の紋がさあ・・・
この方が日本一で、


こちらが先輩で全国2位だか3位だかになってる・・・


このお二人が、二松学舎大学の落語研究会のご出身で、後輩と先輩の間柄・・・羽織の紋が同じでした・・・・立川流、談志さん一門は三階松っていうのかな、松の三段重ねだけど(立川談修さんもそうだった)・・・こちらは二段の松・・・・・二松学舎の意味合いなのかな・・・・・芸名、口座名もそうだけど二松学舎大学落語研究会の出身であることをてらうことなく、表明してるわけで・・・・ちゃんとしてるよね。

帰りにね・・・・・・
その日の演目の解説とか、下げをこんな風に変えたんですよ・・・・といった説明の書かれたレジュメ?が渡されるんだわね・・・・学校の先生っぽくていいやね・・・・・・帰りに・・っていうのが高座見る前には、余計な先入観入れないようにするんだろうけど、いいっすね。

帰りにデパート寄ったら入口に展示してあった正月の福袋の景品だってロボット。乗ってちゃんと動く

今回も付録・・・あの頃みんな若かった・・・・・体育祭もはっぴ着て出てた

たぶん、体育祭に出ると体育の単位もらえたんだ・・・・でも、みんな若い

2014年12月24日水曜日

たみや寄席・・・・代がわり・・・義理と人情

浅草公会堂で「第四回たみや寄席」を見た

夢三亭隣人(トトロ)が赤獣(ピグモン)になってた・・・上級生っぽい
 何の情報も持たず、ぶらーっとね。・・・・・ほぼ、身内の会だったのね。
専修大学の落研OBの松風亭たみやさんが声をかけて筑波大とか東大とかの落研のOBを集めて現役にも手伝わせて、お客としては・・・・・ほぼ、身内の発表会だったんだわね。
専修大学の現役落研部員の夢三亭赤獣(ピグモン)さんや松風亭にぼし君も出る、って言うんで(にぼし君でなかったけどね)3年生、4年生になって代がわりしてしまうと見ることもなくなるかなぁ・・・と思ったわけで。

俺たちの時代だと、部の活動は土日以外毎日で、発表会など近づけば、慰問や模擬発表会で休
松竹亭嵐(ストーム)君、仕事頑張れよ。と勝手に思う。
み返上だったし・・・・・・何も無くても誰かのアパートに集まってたから・・・・・日常生活のほとんどが落研だった。3年になると夏には3年部員の誰かの故郷で「3年の会」として寄席を開催したりしてたから幹部交代した後の3年生は、自由に落語三昧の日々を送ってた。

今は、そんな好き勝手な学生生活なんてやってないんだろう・・部活は、週3日ぐらいで・・・・対外発表会も「みな好き会」の年1回で、活動もほどほどに・・・・・実家からの仕送りも減ってると聞く、このご時世。バイトも両立させながら、単位落としたら就職活動に支障が出る・・・・3年になって、幹部も交代して、代がかわれば・・・・・就職活動も早めのスタート・・・・以前ほどの就職氷河期では、なくなってるんだろうけど、それにしたって厳しい現実。

でもすごいね、この「たみや寄席」出演者・・・・・・卒業して都内の会社に就職したが、きつい仕事や勤務時間で体調壊し・・・・医者に行ったら・・・「うつ」傾向があると診断された・・・現在2週間会社休んでます。もう会社辞めます。と言いながら呼ばれれば、嬉しそうに浅草に落語やりにくる、この落研くずれ・・・・世の中なめてるなぁ・・・・こんなとこ来てるひまがあるなら、会社に相談に行くとか、再就職先探すとか・・・・やることあんだろう。
他にも、筑波大学5年行って、結局自主退学・・・・・現在、群馬県でこんにゃくの選別のバイトやってます。という人も出てた・・・・・・・・・

かくゆう俺も、大学出て就職した会社半年で辞めてバイト暮らしのぷー太郎時代がありますんで・・・・・・何おか言わんやですが・・・・
こんな世の中から金を稼いで一人前の社会人として生きていくのは、結構大変だぜ、一度リタイヤしたりみんなが、歩いてるところじゃないところを歩こうとすると・・・・・もちろん他人がどうのこうの言う話ではないけれど・・・・誰が選んだわけではなく自分で選んだ人生だから・・・・・・・・ただ落語や落研のせいにはするなよなと思う・・・・・・落研くずれとしては、できるなら、こんな世の中ねじ伏せて、好き勝手な人生をひょうひょうと送って見せて欲しいと思うぜ。
客より出演者の方が多い大喜利・・・身内の会だった。場違いだった。

喪中の欠礼ハガキ書いてて思い出した
伝助さんが以前ブログに書いてた慰問先の老人ホームの件・・・・・・たしか、「白寿荘」

今から30年も前だ・・・もう、亡くなってるはずだけど・・

こんな葉書が出てきた・・・・・発表会前の練習も兼ねた老人ホームの慰問・・・八海さんが「黄金餅」
やって、もう少し高齢者向けの噺を・・・と、苦情が出たりした(聞いちゃいけない落語なんてない。人の生き死にも笑い飛ばすのが落語だと思う)慰問のお礼状だ。
なんか、捨てられなくてとってあった。
二十歳そこそこの俺は。こんな礼状をくれる義理堅い高齢者のじい様、ばあ様にその後何もしなかった、それっきりだ。・・・・・ごめんなさい。















 
そして、学生のやる落研でも上級生になると真打になったり、先輩の芸名を継いだりした、そんなときに書いたはがき・・・・名前を継いだ初代・先代の先輩には電話したし、知ってる代の上級生・OB先輩には、この文面のはがきを手書きしたなぁ・・・・カチカチに硬い文面をアレンジもせずに、いっぱい書いたっけ・・・・
でも、そうやって、先輩諸氏に義理をたてる、挨拶をするとういうことを伝統のなかで教わった。・・・・・・・・・・
にもかかわらず、今の俺は、義理も人情もあったもんじゃない。
申し訳ないと思うが・・・・・こんなもんだ。


これは、楽家茶々々からのだ・・・茶々々どうしてるかな


俺たちが4年の時の2年生だった連中が4年生になった頃・・・上級生の顔になってる


特別付録、今はなき専大学食、森永のカレー150円ぐらいでは、なかったかなぁ
後輩のバキは、これで昼飯を済ませて自分の弁当を部員に売ってたと記憶。



2014年12月22日月曜日

「かさま落語会しょの十九」と・・・・「夢は夜ひらく」と・・・・・落研くずれ

おなじみの高田文夫プロデュース「かさま落語会しょの十九」でありました。
11月8日(土)の笠間稲荷神社の裏っての嘉神殿の大広間・・・・・もう、12月も半ば過ぎなのに11月の報告であります。
今回は、日大芸術学部つながりなのか・・高田先生の後輩「春風亭一之輔」・・・・売出し中の真打を呼んでいただいた。・・・・・・都内の独演会とか、なかなか券もとれないからありがたい。
例年のごとく街は、菊まつりの最中・・・

今年は、こんなのが神社の隅っこに出てた・・・・たぶん・・狐















他には、林家二楽さん紙切り
























春風亭一之輔さんの方の二席は「初天神」と「粗忽の釘」
若くして出来上がった方なんだわね・・・・特に人情噺とかは、あんまりやらない方なんだわね・・・・

例によってみなさん座布団持参

ここには、毎回、前座さん役に「喜楽家楽喜」さんという素人さんが出てくる、日大芸術学部の落語研究会の高田文夫先生の先輩ということなんだそうだ・・・・
いつもは、開口一番で前座噺をちょこっとしゃべって、お次お目当ての真打に交代といった流れなんだけど、今回は、「~今月末に二度目のがん手術を控えておりまして・・・・・」というわけでのがんカミングアウトの漫談を話していた・・・・・・・元、広告代理店勤務という事で・・・・がんに負けないテーマソング、というのを唄っていた「♪ガンバルンバ・・・ガンバルンバ・・・♪」・・・・・・もう12月だもんな、手術終わってるよな・・・・・大丈夫だったかな・・・・・・来年も、この落語会で会えるかな・・・
東京で・・・・根津の方で、骨董品とか作家さんのギャラリーをやってる方のようで・・・HPページとか見させていただくと落研の思い出とかお仲間との付き合いを大事にされているのがよくわかる。

「落研くずれ」という言葉があるんだかどうだか知らないが・・・・・ねえよ、そんなもん。お前が勝手に使ってんだろう?・・・・・・・たぶん、そうだ。
辞書によれば・・・

くずれ〔くづれ〕【崩れ】

くずれること。また、くずれたもの。くずれた所。「髪の―を直す」「天候の―が心配だ」「塀の―」
会などが終わって人々が解散すること。また、その人々。「宴会の―に盛り場へくりだす」
戦いで、陣形が乱れること。「総―」
相場が急落すること。

㋐(多く身分・職業などを表す語に付いて)以前はそうであったが、今は落ちぶれている人。また、それになれなかった人。「作家―」「役者―」
㋑目指したことが途中でだめになること。「併殺―」

落語家になることを目指したことなんてない。それになれなかったことを悔やんだこともない。
だけど、落語に、落研に出会ったことで少し人生が変わり・・・・・今も落語や落研の思い出がついて回る。それで、とても幸せだ・・・・・・俺は、「落研くずれ」だ。

「夢は夜ひらく」という歌がある。園まりさんとか宇多田ひかるの母ちゃんだった藤圭子さんとか三上寛の唄で有名だ。出所は練馬の鑑別所で歌われてたものを持ってきて作詞したのが始めらしい。・・・・・・・今は、芸能界引退した根津甚八さんが唄ってたのが「甚八の夢は夜ひらく」・・・・・
「好きな啄木、朔太郎・・・・ボストンバッグの中にある・・・・」と、「学生くずれ」の夢は夜ひらくを唄っていたと記憶している。

あの頃の俺たちは寄席帰りや談志・志ん朝の独演会のはねた夜。・・・「みな好き会」や「専大寄席」(今年はやらねえのかな・・)の打ち上げ帰り・・・・・・四畳半一間のアパートの部屋で・・・・大福の夢は夜ひらく・・・・
親父が死んで・・・・おふくろも既にいない・・・独りぼっちになって多少感傷的な文章になった、そのうちまた、大好きな金玉の話でもするさ

喪中につき、私からの新年のご挨拶などはご遠慮いたしますが・・・・ブログ読んでくださってよければ年賀状、送ってください。










2014年11月21日金曜日

九段下から向ヶ丘遊園・・・・ 90歳の親父が逝った。むこうでおふくろによろしく。  

九段下から二松学舎大学へ学園祭・・・・・
落語研究会・・・・「噺’」(てんではなしにならない)寄席・・・・2日間にわたり、午前・午後の2部構成で、都合四回の番組・・・・落研のホームページや部員さんのツイッターでも広報してる。・・・・・・・・相変わらずきちっとしてる。見たのは初日の午前の回。10時過ぎに入る。

教室の入口の前の受付で「番組表」と「次回の寄席発表会のチラシ」、研究誌の小冊子をいただく、寸暇を惜しんで、こうゆう冊子を作っているのがえらいなぁと思う。・・・・・・ここの大学ではなかったけど俺たちの時代の落研も対外発表の寄席を開催するときには、「かぜ」、「与太郎」といった名前をつけた冊子を作って配ったっけ。・・・・・・同じ伝統みたいなものを感じる。

大学は、学問をするところ・・・サークル活動や部活動も、その一貫として行うものだから、研究発表があって当然なのだろう・・・・こちらの落研さん今回の研究テーマは「着物」・・・それぞれが、自分の思いから「着物」にアプローチする。参考とした文献も明記してある・・・・・大学生してるなぁ。

この落研の1年生は、高座に上がるときは「浴衣」で、と決められてるそうだ・・・・
その浴衣姿の1年生・・・・
開口一番
ここの方々は、座布団に座った時点で一度、上下振って正面きってから、お辞儀をする。きちんとしたスタイルを先輩からおそわるんだろうな。

・・・・・・・・・・・・福来亭すずめさん・・・・・「垂乳根」
長屋の独り者、八五郎んところに大家さんの世話で嫁が来る・・・・・嫁と差向いでチンチロリンのポーリポリのばーくばくと飯を食う妄想に喜ぶ八五郎、・・・だけど・・・・・問題は嫁の言葉が丁寧すぎてわからねえぇ・・・・さぁ大変だっていう噺だけど。きちんとやってるし、妄想の展開も楽しそうにはじけてる。18、19歳女の子が妄想にはじけるのは、見てても楽しい。・・・・・・
さすがに、賤妾浅短(せんしょうせんたん)にあって是れ学ばざれば勤(きん)たらんと欲す・・・・・・という嫁に、「えーっ?!それは・・・勘弁して貰いてぇなぁ・・・・「金玉欲す?・・・」などというくすぐりは、入れないよね。・・・・金玉好きの私としては、残念であるが・・・・

角鷹亭ゆかりさん・・・・・・・・・・・「真田小僧」

可愛らしいお顔立ちしてるけど、顔出しの写真は自粛します。

この噺、前回なんで観たっけ?・・・・・そうだ、カイワレ寄席だ。すっかり安心してみていられる。
時間の関係か真田三代記のくだりまではやらないで、お父ぁんの留守におっ母さんがサングラスにステッキのおじさんを家にあげて・・・・・のくだりまでやって、さげてた。・・・この娘も1ねんせいなんだよなぁ・・・・・・いっぱい稽古して、お仲間に指摘してもらって練り上げたんだわね・・・・ちゃんとしてる。




で、待ってました。の部長さん
関亭いん子さん・・・・・・・・・・・・「胴切り」
「首提灯」とかのまくらで、小噺として聞いたことはあったけど・・・・・・ひとつの噺としては、あんまり
こちらも可愛い女子大生なんだけど、自粛しておきます。
聞いたことがなかった。上方の噺としては、亡くなった桂枝雀さんの持ちネタでは、知ってたけど、面白くなる噺なんだはねぇ。上半身は、歩いて動き回れないことを除けば・・・顔も手もついてるからキャラクターとしては普通と言えば普通に表現できるんだろうけど・・・・・・・・別人格になった下半身のキャラクターの造形は、面白いな。
稽古して噺を創っていく過程は、たぶん楽しかったろうなぁ・・・・自分だけの下半身キャラクター・・・・現実には、そんなもんありえないんだから、正解はない。どんなふうにでもなる・・・・・声のしぶい?小柄の可愛い女子大生さんが作り出すキャラクターは、そりゃ不思議におもしろいわけで・・・・楽しかった。
下げは、「~湯茶がぶがぶ飲むな。小便近くていけねぇ・・・・・」で、さげてた。さすがに、「あんまり女湯ばかり見てるんじゃねぇ・・・ふんどしが傷んでしょうがねえ。・・・・」なんて、女子大生は、やらないな・・・・


そんで、次が
・・・・・・・・・・・ 加酉家千好さん・・・・・「粗忽長屋」
先代の柳家小さん、人間国宝の直伝の噺について、教わったあの立川談志が噺の解釈について粗忽というよりは主観の強い男の噺であるとした有名な噺・・・・・
聞く方にとっては、面白ければ、それでいいのであるが、こんなとんでもない登場人物の振る舞いを、客が引かないように話そうと思ったら、そりゃあ難しい。
赤ぁ(赤犬)出てけ!が母ぁ(カカァ)出てけにきこえるかぁ?・・・・

男子部員さんもお顔は自粛
ポンポンとテンポよく噺を進めて・・・・なんだかわからないうちに・・・抱かれてるのは確かに俺だが抱いてる俺は・・・・・?・・・・で下げる。難しい噺だよなぁ。・・・・しかも下げで噛むと厳しいことになる。











ここで、午前の部終了


九段下から地下鉄に乗って新宿へ小田急線に乗り換えて向ヶ丘遊園・・・・・さて、懐かしの地獄の坂登りのはて・・・・・・・・・専修大学「鳳祭」・・・・・
10号館などという、俺たちの時代には、影も形も無かったりっぱな建物でやってた「鳳寄席」
大喜利と女の子二人の高座だけ見られた。
大喜利と言っても、寄席で見られるような、・・・たとえば「しゃれ相撲」・・・・・結婚式、花婿さんには花嫁さん。打掛(内掛け)で花嫁さんの勝ちとか、・・・・・普通の猿には、手長猿・・・・・うわぁー手ぇ長ーぇ(上手投げ)で手長猿の勝ち・・・・なんていう、昔からの寄席の大喜利ではなくて、テレビで吉本芸人さんなんかがやってる「IPPON]グランプリみたいな進行。着物も着てないし、座布団すらしてない。あぐらかいてる子や足、投げ出したりしてる子。回答も出されたお題に手持ちの小さなホワイトノードに答えを書く方式・・・・・・・・この、言葉遊びの運動神経は、漫才とかのものだわね・・・・・司会者の進行も、答えのボケに間髪を入れず突っ込む。漫才のそれだ・・・・・

第三回の三文の会で見たな、3月までセーラー服の高校生だったって言ってた、
夢三亭写真(パパラッチ)・・・・かぼちゃ屋

与太郎がかぼちゃの入った篭を天秤棒で持ち上げようとして「ファイト一発ーぁつ!」入れるのは良い、・・・・・・松岡修三もいいけどね・・・
すべては、噺をきちんと覚えてからにした方がいいと思うよ。基礎の部分をきちんと固めないうちに、「受けたい」だけが先走って受けるための安易なくすぐりに走ると噺がぼろぼろになるぞ。たぶん、客前でやってても楽しくないだろう。
噺の中で与太郎は、与太郎なりに一生懸命やってんだぜ・・・・与太郎のキャラクター創りを楽しみなよ、初めは、一言一句きちんと覚えて何度やっても同じにしゃべれるようになったら、松岡修三やファイト一発!を入れてった方がいい・・・・・・と、思います。

もう一人が、

可愛い女子大生・・・・後輩だし・・・遠目だし・・・・少し顔出し
夢三亭笑子(ニコリー かな?)・・・・・・饅頭怖い
大喜利の後、すぐに1年の子の落語で、会場が落語を聞く空気になってない気がする・・・・・そんな中でやるのは大変だよね。お昼も食べずにずーっと番組が続いてたのね。大きなお世話だけど、午前の部・昼の部・午後の部とか番組編成した方がいいのでは?・・・・・・・・お客に休憩とか中入とか入れると・・・・みんな帰っちゃうのかな?・・・・・・・・そこは、落語の実力と愛嬌で呼び込んで見せれば?・・・・・・
それと、これも大きなお世話だけど
座布団の縫い目、前だよ。
他大学の落研さんだって来るからね・・・・・・気を付けた方がいいよ。基本的なことだ。
 
誰かがブログで書いてた。・・・・・大学の学祭の寄席とかは、その大学の偏差値に比例する。やっぱり頭のいいやつらは面白いものをつくる。・・・・・・なめられるなよ。きちっとした部の伝統なんてなくなってしまうのは、時の流れでしかたないのかもしれないけど・・・・・いつの時代も自分たちがいいとおもったものの、完成度を高める努力とか・・・・・すげーの見せてやるぜ。っていう心意気は、あっていいんじゃないのかな・・・・・・・俺たちの時代もよかったけど・・・・今の俺たちの後輩いいぜ。と言わせていただきたい。
?……大きなお世話?・・・・・・・・・おっしゃるとおり。

まったく、個人的なことだけど・・・・・・・・ブログなんて個人的なことか・・・・・・・
親父が死んだ。90歳だった。11月25日が誕生日で91歳になるはずだった。
飼い猫を「こっち来い。こっち来い・・・」と呼び寄せて、フニャン・フニャンしっぽ振って寄ってきた猫にブホッ!と屁をかまして喜んでる爺さんだった。
俺が東京から帰省して町の公民館で生涯学習事業の余興で落語やった時、600人入るホールの隅っこで死んだおふくろさんの小さな写真を持って一緒に見てたっけ・・・・・落語なんだからさ・・・・俺は、志なかばで遺族に見守られる高校球児じゃねえっての・・・・・・
ただの、田舎の爺さんだったけど・・・・・・・大好きだった。






 

2014年10月21日火曜日

芸人さんと素人の壁・・・学生落語はどこへ・・・巨大歌丸さん人形が欲しい

「第8回芸協らくごまつり」に行った。ちょこっとね。
芸人さんたちの学園祭と言った趣・・・

 俺たちの学生時代の落語家さんとの関係は、落研は近づけない線があった気がする。
技術顧問だった先代の七代目の橘家圓蔵師匠が亡くなってのお葬式のお手伝いに伺った時も、学生さんだからな・・・という感じでやさしく対応していただいた記憶がある。でもまわり全部、本物の落語家さん・芸人さん達で緊張したし怖かったもんな・・・・・芸人さんと素人さんの間には越えてはいけない一線があった気がする。すごいとこにいる人たち・・・気楽に傍なんかよれない。(俺だけが感じてて、そんなもんなかったのかもしれないけど・・・)
ぬいぐるみキャラクターのバク助さんのサインて、なに?・・・・・・
ちなみに、その向こうは、春風亭昇太師匠・・・サイン順番待ちの長蛇の列


ここは、すごいね。ごちゃごちゃいるね。芸人さん方が、・・・着物来てなくて、赤いスタッフTシャツとか着てると、ただのおっさん、おばさん、おねぇちゃんだもんな・・・・有名落語家さんの足を踏みそうになる・・・・首からサインペンぶら下げてるのが目印で、とっ捕まえれば・・・声をおかけすれば、気軽にサインしていただける・・・・・芸人さんとの距離が近い近い・・・・・それは良いこと・・・・・なんだろうな・・・・・・たぶん・・・俺は、高座と客席の関係で見ていたい。


開場マップの一番上んとこの部屋S1-A、ドン詰まりの部屋で大学落研さんが・・・・・
「大学対抗落研落語会」
13:00
出演(順不同):いかれ亭乱痴気(青山学院大学) 三流亭空美(駒澤大学) 夢三亭無角(専修大学)
 森林亭原生(創価大学) 女難亭愛狂(千葉大学) 頭下位亭暮守(東海大学) す亭ごおるど(東京経済大学)
 栗須家刃奈々(東京農業大学) 六花亭空道(東京理科大学) 田町家雑派(法政大学) 
 
開演前の打ち合わせ、外のごちゃごちゃ感に比べて、この部屋は別空間。
二つ目の春雨や雷太さんが仕切って、真打の春風亭愛嬌さんが司会進行していた。
学生さんの緊張は感じられたけど高座に上がれば落ち着いたもんだ。大学の看板背負って出てるからみんな熱演。うまいもんだ。
東京理科大学「六花亭空道」君と言えば、今年のてんしき杯の優勝者でしょう?・・・「寿限無」かなり改作してたけどやってた・・・うまいもんだ。かなり、あっちっこっちでやってるんんだろうな・・・・

全部見たわけではないので、とりあえず専大の夢三亭無角(サークル)君・・・あれ?もとは夢三亭六角(ペンタゴン)だったよね・・・名前変えたんだわね・・・
赤Tばっかりだけど、後ろの方には一般客もちらほら、再三のおひざ送りの
お願いにも頑として前に来ない、なんか壁があんのか?

いきなりのまくら
「俺は、もてる、落語やってるんで、しゃべりもいける・・・・そこいらへんの女なら、すぐ落とせる・・・・今日来てる客なら・・・あっという間だ・・・・」
何があったんだ、この子は、こんなタイプの子だったんだっけ?・・・
お客さん敵に回してどうすんの・・・顔立ちきれいな子だから余計に冗談にならない・・・・
愛されるタイプだと思ってたんだけど・・・・

 演題が「がまの油」~改~・・・・すげぇー高速のガマの油売りの口上から酔っぱらった後のしゃっくり口上と・・・・・唖然とするね・・・・・終わった後の寸評で「下げを考えてからこういう展開にもってったの?・・・・やってるうちにそうなったの?と聞かれて「ガマの油を変えてみたかった・・・・」って言ってた。自分だけのオリジナルという意味では、世界で唯一無二の「ガマの油」だぜ・・・・えらい。
プロの落語家さんから寸評もらえる・・・ほんとにモテるの?・・・はい。
このあたりに出てくる落研さんがやってる落語が今の関東の学生落語の主流だったりするんだろうな・・・・・プロになる人も出てくるのかな・・・・・古典落語の壊し方、改作に対するハードルは下がってみんな自由に落語をいじる、受けたもん勝ちのそういうのもありなのが落語だと思うけど・・・・20歳前後の若者の怒りや悲しみや喜び、共通する思いを落語の中から見つけ出して、自分のオリジナルにしていく・・・・そんなの見たいなぁ・・・・・・あの頃に戻れるなら、やってみたい・・・・・戻れないけど・・・・・

特性弁当買って帰る。

2014年10月1日水曜日

くったびれたおっさん「第三回 三文の会」に現る・・・

平成26年9月28日(日) 午後5時30分 浅草公会堂
「第三回三文の会」
 國學院・二松学舎・専修大学落語研究会による発表会を観てきた。

そう言った事情により、くたびれていた・・・寄っかかっていたかったので、壁際に座る。…上下振った時の演者と目線がぶつかる位置・・・・やりづらかったかな・・ごめんね。

「与太郎」も「子供」もネタかぶりだけどこの並びは面白いっちゃあ面白い


「写真」と書いてパパラッチ・・・・専大1年・・3月まで高校生だって。
高校ん時に、よく似た名前の男の子二人と付き合ったというまくらから「寿限無」に入る・・・やるなパパラッチ
途中に・・・突然、例の兵庫県議会議員の号泣会見の物真似とか「やぶらこうじのぶらこうじ」がらみで偽日本のベートーベン「佐村河内 守」さんが出てきたり・・・・やるなぁパパラッチ

この子が開口一番の前座さん役だから・・・・以降の演者さんのめくり返しと座布団返しに出てくることになるのであるが・・・・座布団の後ろに立って座布団ひっくり返すために、まず両手を交差させてⅹの形を作って、固まった腕のまま、そのまましゃがんで座布団をつかむ・・・・・3月までは、セーラー服の女子高生・・・・緊張感も可愛いいもんだ・・・・・しかし「高校でボーイフレンド2人踏み越えてきた」のまくらだからなぁ・・・・油断できないパパラッチ。
国学院大落研の会長さんでしょう?・・・上方落語の「子ほめ」
面白い・・・お上手・・そして黒い

東京の大学にいて、上方落語やるっていうのは大変だよね。・・・たぶん、・・・・でも彼の噺は面白いから他の上方噺も聞いてみたいと思うなぁ。

二松学舎大学落研の春空亭ひばりさん・・・・・この人は元気だ、
学校行きゃあ会えるアイドル・・・自分で言い切る前向きさ・・・
 たしか・・・第1回目の三文の会でも見させていただいたっけか・・・はじけるまくらで全編押し切るかと思われたが・・・・きちんとした古典落語をやろうとするのね・・・・・ちゃんちきちん、すけてんてん・・・与太郎も演者も軽く、はじけて、唄って楽しんじゃえばいいのさ・・・演者が楽しきゃ客も楽しい・・・・・・・・・たぶん。



国学院落研の見た目クールな女の子「乱鶴」さん・・・金明竹の言いたて、噛もうが飛ばそうが
どうじませんなぁ・・・・噛んだのもきちんとひろって噺としてまとめてみせるアドリブも・・・クールっつうか力技
 
二松学舎大落研の烏家小六さん・・・・この間、「転宅」聞いたばかり、女性を演じると
独特の感じが出てたけど今日は「反対俥」・・・座布団の上でずいぶん高く飛んでたなぁ・・
そんで、主任(トリ)の専大落研の松風亭 にぼし君・・口慣れた噺なんんだろうなぁ
・・・お客にはうけてた。「てんしき杯」決勝とか出てると他大学でも有名なんだろうな・・・たぶん。
でも、口慣れた噺は、いつも新鮮な気持でやるってのが難しい・・器用にこね回しすぎると、
やっててつまんないと思うけどなあ

いい歳こいたおっさんになると、「真田小僧」とか「桃太郎」とか「雛つば」、「佐々木政談」とか、ませた子どもの出てくる噺の子供のキャラクターをもっと誇張して、さらにませた子供にして描くと・・・・笑えないこともある。
にぼし君の話をしてるのでは、ないです。「真田小僧」の話を・・・・

子どもを可愛いと思うのは、子供はバカで弱くて、すぐきたなくなるし、経済力無くて、ほっといたら死んじゃったりするので、殺されないように神様が子供のうちは、可愛くなるように作ってあって、親も子供は可愛いと感じるようにできてるのかもしれません。・・・・・子どもは子供らしくとか、子どもは純粋だなどとは、少しも思わないけど・・・・・親をやり込めてみたり、親をだまして小銭巻き上げてみたりしても、やっぱり子供は可愛いけどバカだし・・・守ってやらないと・・・と思わされてしまう親もやっぱりバカだけど・・・いとおしい。・・・だから、こまっしゃくれてペテンのいい子供が大人をからかってやり込めるだけの噺になってしまうと・・・笑えない。・・・(何言ってんのよ、それがこの噺のテーマだし、現実にはこんな子供いない、落語の中の子供だから、何にも考えずに親が子供にやりこめられる滑稽さを笑えばいいのよ)・・・なのかもしれないけど・・・・・「そして父になれない」でいる俺は、笑えないでいる。

大学落研で落語をやれる、・・・やれた時間は、ほんとにあっという間だった・・・・気がつくと、今はもうどこにもない場所を懐かしくて探してみたりする。・・・・あの時間は、ほんとに楽しい時間だった。

人通りもまばらになった夕刻の浅草公会堂前・・・
専大落研さんがはっぴ着て呼び込み・・・頑張れ!


今回3回目は、専大の仕切りでやってるようだ

















とっぷり日の暮れた浅草伝法院通り・・・帰り道・・・・・足が痛ぇ・・・歩きすぎだ
 

2014年9月30日火曜日

ほんとにくたびれた・・・・落語「黄金餅」

昔、学生の落研時代にやり残したことを、30年たってやってみた。

上野で常磐線から、地下鉄日比谷線で入谷駅で降りて地上へ出る。
えー、下谷の山崎町あたりを出たのが午前10時30分頃

東京メトロ 入谷駅あたりでおりて上野駅方面に向かう



ここで高速に乗って飯倉で降りればあっという間に着くものを・・徒歩で歩く


とりあえず上野駅へ

上野駅前ペデストリアンデッキ登って降りて














JR線路の向こうまで歩く歩く
上野広小路を目指す・・・「三枚橋渡って」って?・・・・三枚橋がわからない・・・何も事前に調べてこない・・・出たとこ勝負・・だからなぁ・・・












「御成り街道真っ直ぐに・・・」行くつもりがアメ横に寄り道ビデオ屋によって「かまきり婦人の告白」五月みどりさん主演のDVD見つけて買ったりしながら

鈴本演芸場をちらっと見る。先日、緞帳が落ちる事故があったと
聞いたけど・・・改修したのかな。



交差点の向かい側「上野広小路亭」が見える「ダンス・ダンス・談修」や
「みな好き会」を何度か見に来たっけ・・・最近見に来てないなあ・・・

歩いて、歩いて・・・秋葉原駅近く・・・電気街っつうのかな・・・

まだ、いるんだ、メイド服のお姉ちゃん・・・と、中国人と思われる方々多いなぁ・・
「堀様と鳥居様のお屋敷の前を真っ直ぐに、筋違御門から・・・・」ったってさ、筋違御門なんてないし・・・














「万世橋」
と言えば、とにかく早い人力車が客の「万世渡って上野の駅までやってくれ・・・。」ってのを聞くが早いか、埼玉県あたりまで突っ走り、芸者さん川に突き落として「芸者あげてやれだぁ?・・・芸者揚げるぐらいなら、車屋なんかやってねえ!と開き直った、あの万世橋。

あるいは、「与太郎、お前のバカは、慢性だな!・・・」といわれた与太郎が・・・「次は須田町」とわけのわからない答えをした、あの万世橋・・・そーだ、この先の須田町を目指すのだ。


で、この万世橋のたもとにある「肉の万世」あたりが、筋違御門の跡らしいです。











そして、「神田須田町へ出てまいりまして、「新石町」から「鍛冶町」、今川橋を渡って「本白銀町」、「石町」から「本町」、「室町」を抜けまして日本橋を渡って・・・・と道中付の言い立てが続くところへんで道に迷いながら・・・・歩く・歩く
なんとか、日本橋にたどり着く・・・

あの、映画「麒麟の翼」新参者で中井貴一さんが刺されてたどり着く麒麟の像んとこまで・・・・



刺された地下道へ続く道・・・この先、車いすの方は通れません。
と看板が出てた・・・公道がこれしかない。











「日本橋渡って通り四丁、中橋から南伝馬町を抜けまして・・・・」
と出てくる「中橋」ってここは、古道具を扱ってる加賀屋佐吉さんの店があったところでしょう?
後に気が違って、遊女を寸胴切りにして古池に飛び込んだ仲買の弥一さんが勤めてたとこか・・・

そして、京橋。能登の国、から出てきた大飯食いの長吉が相撲取りをめざして弟子入りする関取の武隈関の部屋のあった観世新道は、この近くなのかな・・・・飯を食いすぎると追い出されるも、後の六代目横綱「阿武松(おおのまつ)」になる落語、「阿武松」。・・・・そういや、腹減ったなー

「・・・京橋を渡って真っ直ぐに、・・・・」
日曜で歩行者天国の銀座に突入・・・・・ここもたくさんいらっしゃる中国系の方々


銀座8丁目までずーっと歩いて、歩いて・・・・新橋、新橋・・と

「・・・・尾張町に参りまして、新橋を右に切れて土橋から久保町、新し橋の通りを真っ直ぐに・・・・愛宕下へ出てまいりまして・・

愛宕神社・・・奥に「出世階段」・・・疲れて登れません、出世は無理・・・
天徳寺

「・・・愛宕下へ出てまいりまして、天徳寺をくぐって神谷町から板倉六丁目・・・






神谷町

東京タワーを左に見ながら飯倉六丁目

談志さんの言うとおり最初から高速乗って飯倉で降りるコースなら・・・・こんなに足が痛くなることは・・・なかったろうに








坂を上がって飯倉片町、そのころおかめ団子というだんご屋の
前をを真っ直ぐに・・・・

この先に・・・・だんご屋・・・無いよぉー


「・・・麻布の永坂を下りまして、麻布十番へ出て、大黒坂を上がって一本松から・・・・」














鳥居坂下を下りてく・・・・麻布十番・・・・大黒坂・・・坂ばっかし・・・大使館ばっかし・・・外車・高級車ばっかし
「大黒坂を上がって一本松から・・・・・」

「・・・・一本松から麻布絶口釜無村の木蓮寺へ着いた時には、
みんなずいぶんくたびれた・・・・私もほんとにくたびれた・・・」


結局、麻布絶口釜無村の木蓮寺は、架空の寺だそうだから・・・この先にモデルになったらしい「曹渓寺」というお寺があるそうだけど・・・・もうこの先は行かない。
午前中10時過ぎに歩き始めて・・・・もう午後の4時だもの・・・・・・5時30分には浅草公会堂で学生さんの三文の会を観に行かねば・・・・

三文の会のつづきは、次回のブログ更新で・・・それでは・・・ほんとに、くたびれたなぁ・・・・