ページビューの合計

2014年12月29日月曜日

第3回げいぶん寄席・・・・くずれない方の元落研・・・・若かった

もう、26日に仕事納めも済んで、あとは職場施設の清掃が29日に・・業者さんに頼んであるので、その立ち合いが済めば、ほんとに仕事は今年もおしまい。
そんな、12月27日の土曜日に水戸市常陽囈文センターで「第3回げいぶん寄席」を見てきた。

社会人落語の会・・・・あの池田の「社会人落語日本一決定戦」で日本一になった高校の先生とかその方の落研の先輩にあたる・・・これも決定戦で2位だか3位だかになった方がでてる。・・・・・俺のように落研くずれではなく・・・・ちゃんとした元落研さん
ほかにも、たぶん学校の先生と思われる方とか、もとラジオのアナウンサーだった方とか、ちゃんとした方々が出てる(「ちゃんとした方」ってなんだ?って話だけど・・・ちゃんとしてるんだ)

説明を追加
演題からしてちゃんとしてるでしょう?

















で、この方の羽織の紋がさあ・・・
この方が日本一で、


こちらが先輩で全国2位だか3位だかになってる・・・


このお二人が、二松学舎大学の落語研究会のご出身で、後輩と先輩の間柄・・・羽織の紋が同じでした・・・・立川流、談志さん一門は三階松っていうのかな、松の三段重ねだけど(立川談修さんもそうだった)・・・こちらは二段の松・・・・・二松学舎の意味合いなのかな・・・・・芸名、口座名もそうだけど二松学舎大学落語研究会の出身であることをてらうことなく、表明してるわけで・・・・ちゃんとしてるよね。

帰りにね・・・・・・
その日の演目の解説とか、下げをこんな風に変えたんですよ・・・・といった説明の書かれたレジュメ?が渡されるんだわね・・・・学校の先生っぽくていいやね・・・・・・帰りに・・っていうのが高座見る前には、余計な先入観入れないようにするんだろうけど、いいっすね。

帰りにデパート寄ったら入口に展示してあった正月の福袋の景品だってロボット。乗ってちゃんと動く

今回も付録・・・あの頃みんな若かった・・・・・体育祭もはっぴ着て出てた

たぶん、体育祭に出ると体育の単位もらえたんだ・・・・でも、みんな若い

2014年12月24日水曜日

たみや寄席・・・・代がわり・・・義理と人情

浅草公会堂で「第四回たみや寄席」を見た

夢三亭隣人(トトロ)が赤獣(ピグモン)になってた・・・上級生っぽい
 何の情報も持たず、ぶらーっとね。・・・・・ほぼ、身内の会だったのね。
専修大学の落研OBの松風亭たみやさんが声をかけて筑波大とか東大とかの落研のOBを集めて現役にも手伝わせて、お客としては・・・・・ほぼ、身内の発表会だったんだわね。
専修大学の現役落研部員の夢三亭赤獣(ピグモン)さんや松風亭にぼし君も出る、って言うんで(にぼし君でなかったけどね)3年生、4年生になって代がわりしてしまうと見ることもなくなるかなぁ・・・と思ったわけで。

俺たちの時代だと、部の活動は土日以外毎日で、発表会など近づけば、慰問や模擬発表会で休
松竹亭嵐(ストーム)君、仕事頑張れよ。と勝手に思う。
み返上だったし・・・・・・何も無くても誰かのアパートに集まってたから・・・・・日常生活のほとんどが落研だった。3年になると夏には3年部員の誰かの故郷で「3年の会」として寄席を開催したりしてたから幹部交代した後の3年生は、自由に落語三昧の日々を送ってた。

今は、そんな好き勝手な学生生活なんてやってないんだろう・・部活は、週3日ぐらいで・・・・対外発表会も「みな好き会」の年1回で、活動もほどほどに・・・・・実家からの仕送りも減ってると聞く、このご時世。バイトも両立させながら、単位落としたら就職活動に支障が出る・・・・3年になって、幹部も交代して、代がかわれば・・・・・就職活動も早めのスタート・・・・以前ほどの就職氷河期では、なくなってるんだろうけど、それにしたって厳しい現実。

でもすごいね、この「たみや寄席」出演者・・・・・・卒業して都内の会社に就職したが、きつい仕事や勤務時間で体調壊し・・・・医者に行ったら・・・「うつ」傾向があると診断された・・・現在2週間会社休んでます。もう会社辞めます。と言いながら呼ばれれば、嬉しそうに浅草に落語やりにくる、この落研くずれ・・・・世の中なめてるなぁ・・・・こんなとこ来てるひまがあるなら、会社に相談に行くとか、再就職先探すとか・・・・やることあんだろう。
他にも、筑波大学5年行って、結局自主退学・・・・・現在、群馬県でこんにゃくの選別のバイトやってます。という人も出てた・・・・・・・・・

かくゆう俺も、大学出て就職した会社半年で辞めてバイト暮らしのぷー太郎時代がありますんで・・・・・・何おか言わんやですが・・・・
こんな世の中から金を稼いで一人前の社会人として生きていくのは、結構大変だぜ、一度リタイヤしたりみんなが、歩いてるところじゃないところを歩こうとすると・・・・・もちろん他人がどうのこうの言う話ではないけれど・・・・誰が選んだわけではなく自分で選んだ人生だから・・・・・・・・ただ落語や落研のせいにはするなよなと思う・・・・・・落研くずれとしては、できるなら、こんな世の中ねじ伏せて、好き勝手な人生をひょうひょうと送って見せて欲しいと思うぜ。
客より出演者の方が多い大喜利・・・身内の会だった。場違いだった。

喪中の欠礼ハガキ書いてて思い出した
伝助さんが以前ブログに書いてた慰問先の老人ホームの件・・・・・・たしか、「白寿荘」

今から30年も前だ・・・もう、亡くなってるはずだけど・・

こんな葉書が出てきた・・・・・発表会前の練習も兼ねた老人ホームの慰問・・・八海さんが「黄金餅」
やって、もう少し高齢者向けの噺を・・・と、苦情が出たりした(聞いちゃいけない落語なんてない。人の生き死にも笑い飛ばすのが落語だと思う)慰問のお礼状だ。
なんか、捨てられなくてとってあった。
二十歳そこそこの俺は。こんな礼状をくれる義理堅い高齢者のじい様、ばあ様にその後何もしなかった、それっきりだ。・・・・・ごめんなさい。















 
そして、学生のやる落研でも上級生になると真打になったり、先輩の芸名を継いだりした、そんなときに書いたはがき・・・・名前を継いだ初代・先代の先輩には電話したし、知ってる代の上級生・OB先輩には、この文面のはがきを手書きしたなぁ・・・・カチカチに硬い文面をアレンジもせずに、いっぱい書いたっけ・・・・
でも、そうやって、先輩諸氏に義理をたてる、挨拶をするとういうことを伝統のなかで教わった。・・・・・・・・・・
にもかかわらず、今の俺は、義理も人情もあったもんじゃない。
申し訳ないと思うが・・・・・こんなもんだ。


これは、楽家茶々々からのだ・・・茶々々どうしてるかな


俺たちが4年の時の2年生だった連中が4年生になった頃・・・上級生の顔になってる


特別付録、今はなき専大学食、森永のカレー150円ぐらいでは、なかったかなぁ
後輩のバキは、これで昼飯を済ませて自分の弁当を部員に売ってたと記憶。



2014年12月22日月曜日

「かさま落語会しょの十九」と・・・・「夢は夜ひらく」と・・・・・落研くずれ

おなじみの高田文夫プロデュース「かさま落語会しょの十九」でありました。
11月8日(土)の笠間稲荷神社の裏っての嘉神殿の大広間・・・・・もう、12月も半ば過ぎなのに11月の報告であります。
今回は、日大芸術学部つながりなのか・・高田先生の後輩「春風亭一之輔」・・・・売出し中の真打を呼んでいただいた。・・・・・・都内の独演会とか、なかなか券もとれないからありがたい。
例年のごとく街は、菊まつりの最中・・・

今年は、こんなのが神社の隅っこに出てた・・・・たぶん・・狐















他には、林家二楽さん紙切り
























春風亭一之輔さんの方の二席は「初天神」と「粗忽の釘」
若くして出来上がった方なんだわね・・・・特に人情噺とかは、あんまりやらない方なんだわね・・・・

例によってみなさん座布団持参

ここには、毎回、前座さん役に「喜楽家楽喜」さんという素人さんが出てくる、日大芸術学部の落語研究会の高田文夫先生の先輩ということなんだそうだ・・・・
いつもは、開口一番で前座噺をちょこっとしゃべって、お次お目当ての真打に交代といった流れなんだけど、今回は、「~今月末に二度目のがん手術を控えておりまして・・・・・」というわけでのがんカミングアウトの漫談を話していた・・・・・・・元、広告代理店勤務という事で・・・・がんに負けないテーマソング、というのを唄っていた「♪ガンバルンバ・・・ガンバルンバ・・・♪」・・・・・・もう12月だもんな、手術終わってるよな・・・・・大丈夫だったかな・・・・・・来年も、この落語会で会えるかな・・・
東京で・・・・根津の方で、骨董品とか作家さんのギャラリーをやってる方のようで・・・HPページとか見させていただくと落研の思い出とかお仲間との付き合いを大事にされているのがよくわかる。

「落研くずれ」という言葉があるんだかどうだか知らないが・・・・・ねえよ、そんなもん。お前が勝手に使ってんだろう?・・・・・・・たぶん、そうだ。
辞書によれば・・・

くずれ〔くづれ〕【崩れ】

くずれること。また、くずれたもの。くずれた所。「髪の―を直す」「天候の―が心配だ」「塀の―」
会などが終わって人々が解散すること。また、その人々。「宴会の―に盛り場へくりだす」
戦いで、陣形が乱れること。「総―」
相場が急落すること。

㋐(多く身分・職業などを表す語に付いて)以前はそうであったが、今は落ちぶれている人。また、それになれなかった人。「作家―」「役者―」
㋑目指したことが途中でだめになること。「併殺―」

落語家になることを目指したことなんてない。それになれなかったことを悔やんだこともない。
だけど、落語に、落研に出会ったことで少し人生が変わり・・・・・今も落語や落研の思い出がついて回る。それで、とても幸せだ・・・・・・俺は、「落研くずれ」だ。

「夢は夜ひらく」という歌がある。園まりさんとか宇多田ひかるの母ちゃんだった藤圭子さんとか三上寛の唄で有名だ。出所は練馬の鑑別所で歌われてたものを持ってきて作詞したのが始めらしい。・・・・・・・今は、芸能界引退した根津甚八さんが唄ってたのが「甚八の夢は夜ひらく」・・・・・
「好きな啄木、朔太郎・・・・ボストンバッグの中にある・・・・」と、「学生くずれ」の夢は夜ひらくを唄っていたと記憶している。

あの頃の俺たちは寄席帰りや談志・志ん朝の独演会のはねた夜。・・・「みな好き会」や「専大寄席」(今年はやらねえのかな・・)の打ち上げ帰り・・・・・・四畳半一間のアパートの部屋で・・・・大福の夢は夜ひらく・・・・
親父が死んで・・・・おふくろも既にいない・・・独りぼっちになって多少感傷的な文章になった、そのうちまた、大好きな金玉の話でもするさ

喪中につき、私からの新年のご挨拶などはご遠慮いたしますが・・・・ブログ読んでくださってよければ年賀状、送ってください。