二松学舎大学の落語研究会の発表会を観てきた。
平成26年9月21日(日) 午後1時30分開演
四谷荒木町 「橘家」・・・なんだろう・・・ここは、料亭みたいなつくりの桟敷の・・・貸スペースなのかな・・・・・ともかく、玄関開けたら2分でごはん・・じゃない高座がある・・・・入ればわかりやすいが・・・たどり着くまでが多少わかりにくい・・・でも、静かで趣のある会場でありました。
これは、終演後にお客を見送るの図、丁寧な対応で気持ち良く帰れました。お疲れ様 |
演目やなんかは、二松落研さんのHPで見てもらえばいいとして、
めくりと座布団返しの子が、とても丁寧に座布団を返した後にお客へ見せる満面の笑みが初々しい |
どっかのおじさんから高座名の説明を求められてた専大の落研さん 夢三亭と松風亭らしい・・・二松学舎に負けるな専大落研! |
話は飛びますが・・・・・最近、あっちのほうは、すっかりダメであります。歳のせいか糖尿か・・・
アルプスの少女ハイジの友達のクララは、ペーターに車いす壊されて立てるようになるけどね・・・
「クララが立った!クララが立った!・・・んなこと言っても・・・俺はすっかり勃たなくなった・・・・まったく「クララはたつのにねー!?・・・」なんか言われてしまう。・・・・しょうがない。・・「今はただ、小便をする道具なり」・・・・・クララはえらい!・・・・・・下ネタですいません。
またまた、話は飛びますが・・・・・伝助さんのブログ・・・風柳師匠の「芝浜」の話・・・・・面白かったです(まだ、完結前ですけど)しかし、よく覚えてますよね当時のこと・・・まくらも含めてこの噺への思い入れ・・・いいですね。
私も持ちネタで・・・・・やってます・・・・対外発表会ではないですけど・・・・合宿の部員の前でと、卒業した後に隣村の老人会の研修会かなんかで・・・・
私は、録音が残ってる合宿の高座のまくらでは「ほとんど談志、そこはかとなく漂う三木助の香り・・・ということで・・・芝浜やらしていただきます。・・・」と、入ってますので立川談志さんと先代の桂三木助さんのテープ聞いて覚えました。談志ひとり会かなんかで生の芝浜も見てたと思います。
談志さんの「芝浜」は、当時30年前でも、やるたびに変化してるので3本ぐらいテープ・・・・3種類ぐらいのの談志の「芝浜」を何度も聞きました。
「・・・・・・長年連れ添う女房に・・・嘘をつかれて・・・・腹ぁ・立つだろう・ね・・・・・なぐっても、ぶってもいい・・・・・だけど・・・おまえさん・・・あたし・・・ださないで・・・・お願いだから、ださないで・・・・だって、だって、あたし・・お前さん、好きなんだもん・・・・・」
「・・・・あっ。鳴ってる、鳴ってる・・・ボーン・・・・・百八つ」
「・・うん・・百八つ・・・・」
「・・・百八つ・・・・」
・・・・こんなのやりたかったんですよね。20代学生の分際で・・・今じゃ、「クララは立つのにねー」なんか言われてるおっさんがですよ・・・・まったくの話。
あと、参考にしたのが、あの安藤鶴夫の「我が落語鑑賞」って本、高座でやられてた噺の速記本みたいに落語が採録されてて、しぐさまで採録されてて、その「芝浜」の部分、たぶん桂三木助さんのの採録、その中に・・・・お内儀さんに起こされて芝の浜に来てみたが時間が早い・・・・・浜で顔でも洗って待とうとブシャ、ブシャっと洗ってみたが・・・ふところに手ぬぐいがない・・・・いけねえ、ってんで、頭に巻いてたねじり鉢巻きの手ぬぐいをはずして、広げて顔をふくシーンのパントマイム・・しぐさと、
談志さんもやってますけど、キセルで刻みタバコ吸うときの「・・・昔は、ライターとかマッチとかありませんから・・火打石でおこした火を「火口(ほくち)」てえものに移して、キセルに火をつけた」・・・・で、つけた一服目を吸って、二服目を吸うときは、一服目の火種をふっと吹いて左手に落として、熱くないように、左の掌で転がしてるうちに、キセルに煙草をつめて、転がしてた火種でその煙草に火をつけて、ついたらキセルを咥えたまま、両手をポンポンとはたいて燃え尽きた火種の灰を払い落とす・・・・・いちいち、何度も火打石で火をおこさない、そんな、外回りの魚屋さんがやってたであろう、しぐさをやってみたかったのであります。
その卒業後の老人会のじい様、ばあ様の前でやった時の「芝浜」では、この煙草のしぐさをやってるときは、反応がないので・・・「なんだかわからないでしょう?・・・・これは、昔はライターとかないから、火打石でおこした火をほくちってものに移して、それで煙草に火をつけた・・・というところをしぐさだけで表現してるところで・・・・だめですよ、前途ある若い演者が足りないところは・・・・みなさんの過去の経験に照らし合わせて想像力でおぎなう・・・頭使わないとぼけちゃいますよぉ・・・」とやって怒られたことがありました。
それと、俺、当時から酒の飲めない下戸だったから・・・大好きな酒をやめることの意味がよくわからず・・・・この噺を解釈するとき・・・・人間はそんなに強くない・・・この魚屋さんも、そんなに簡単に酒を断つことなんかできたのか?・・・・魚屋の寄合かなんかでひとり飲まないなんてえことができるもんか?・・・・ほんとは、魚屋さん、魚勝っあん、止むにやまれず飲んじまったこともあったんじゃねぇーか?その度に、泣くほど後悔して、やっと3年目の大晦日に飲まなくてもいられるようになった・・・その間の七転八倒の苦しみの方が、人間的じゃない?そんな風に噺直そうかな?
と、酒の強い夢三亭小たつ君に相談したら・・・・「そりゃぁ、だめでしょう」と否定されたのを覚えてます。
今、思えば、好きな酒を我慢した長い時間があるから、目の前の酒。飲んじまえば、これを手に入れることの代わりに手放さなければならなくなるかもしれない取り戻した夫婦の幸せな時間。・・・・・・「よそう・・・」っていう気持ちになるよな。直す必要はなかったと確かに思う。
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