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2014年9月30日火曜日

ほんとにくたびれた・・・・落語「黄金餅」

昔、学生の落研時代にやり残したことを、30年たってやってみた。

上野で常磐線から、地下鉄日比谷線で入谷駅で降りて地上へ出る。
えー、下谷の山崎町あたりを出たのが午前10時30分頃

東京メトロ 入谷駅あたりでおりて上野駅方面に向かう



ここで高速に乗って飯倉で降りればあっという間に着くものを・・徒歩で歩く


とりあえず上野駅へ

上野駅前ペデストリアンデッキ登って降りて














JR線路の向こうまで歩く歩く
上野広小路を目指す・・・「三枚橋渡って」って?・・・・三枚橋がわからない・・・何も事前に調べてこない・・・出たとこ勝負・・だからなぁ・・・












「御成り街道真っ直ぐに・・・」行くつもりがアメ横に寄り道ビデオ屋によって「かまきり婦人の告白」五月みどりさん主演のDVD見つけて買ったりしながら

鈴本演芸場をちらっと見る。先日、緞帳が落ちる事故があったと
聞いたけど・・・改修したのかな。



交差点の向かい側「上野広小路亭」が見える「ダンス・ダンス・談修」や
「みな好き会」を何度か見に来たっけ・・・最近見に来てないなあ・・・

歩いて、歩いて・・・秋葉原駅近く・・・電気街っつうのかな・・・

まだ、いるんだ、メイド服のお姉ちゃん・・・と、中国人と思われる方々多いなぁ・・
「堀様と鳥居様のお屋敷の前を真っ直ぐに、筋違御門から・・・・」ったってさ、筋違御門なんてないし・・・














「万世橋」
と言えば、とにかく早い人力車が客の「万世渡って上野の駅までやってくれ・・・。」ってのを聞くが早いか、埼玉県あたりまで突っ走り、芸者さん川に突き落として「芸者あげてやれだぁ?・・・芸者揚げるぐらいなら、車屋なんかやってねえ!と開き直った、あの万世橋。

あるいは、「与太郎、お前のバカは、慢性だな!・・・」といわれた与太郎が・・・「次は須田町」とわけのわからない答えをした、あの万世橋・・・そーだ、この先の須田町を目指すのだ。


で、この万世橋のたもとにある「肉の万世」あたりが、筋違御門の跡らしいです。











そして、「神田須田町へ出てまいりまして、「新石町」から「鍛冶町」、今川橋を渡って「本白銀町」、「石町」から「本町」、「室町」を抜けまして日本橋を渡って・・・・と道中付の言い立てが続くところへんで道に迷いながら・・・・歩く・歩く
なんとか、日本橋にたどり着く・・・

あの、映画「麒麟の翼」新参者で中井貴一さんが刺されてたどり着く麒麟の像んとこまで・・・・



刺された地下道へ続く道・・・この先、車いすの方は通れません。
と看板が出てた・・・公道がこれしかない。











「日本橋渡って通り四丁、中橋から南伝馬町を抜けまして・・・・」
と出てくる「中橋」ってここは、古道具を扱ってる加賀屋佐吉さんの店があったところでしょう?
後に気が違って、遊女を寸胴切りにして古池に飛び込んだ仲買の弥一さんが勤めてたとこか・・・

そして、京橋。能登の国、から出てきた大飯食いの長吉が相撲取りをめざして弟子入りする関取の武隈関の部屋のあった観世新道は、この近くなのかな・・・・飯を食いすぎると追い出されるも、後の六代目横綱「阿武松(おおのまつ)」になる落語、「阿武松」。・・・・そういや、腹減ったなー

「・・・京橋を渡って真っ直ぐに、・・・・」
日曜で歩行者天国の銀座に突入・・・・・ここもたくさんいらっしゃる中国系の方々


銀座8丁目までずーっと歩いて、歩いて・・・・新橋、新橋・・と

「・・・・尾張町に参りまして、新橋を右に切れて土橋から久保町、新し橋の通りを真っ直ぐに・・・・愛宕下へ出てまいりまして・・

愛宕神社・・・奥に「出世階段」・・・疲れて登れません、出世は無理・・・
天徳寺

「・・・愛宕下へ出てまいりまして、天徳寺をくぐって神谷町から板倉六丁目・・・






神谷町

東京タワーを左に見ながら飯倉六丁目

談志さんの言うとおり最初から高速乗って飯倉で降りるコースなら・・・・こんなに足が痛くなることは・・・なかったろうに








坂を上がって飯倉片町、そのころおかめ団子というだんご屋の
前をを真っ直ぐに・・・・

この先に・・・・だんご屋・・・無いよぉー


「・・・麻布の永坂を下りまして、麻布十番へ出て、大黒坂を上がって一本松から・・・・」














鳥居坂下を下りてく・・・・麻布十番・・・・大黒坂・・・坂ばっかし・・・大使館ばっかし・・・外車・高級車ばっかし
「大黒坂を上がって一本松から・・・・・」

「・・・・一本松から麻布絶口釜無村の木蓮寺へ着いた時には、
みんなずいぶんくたびれた・・・・私もほんとにくたびれた・・・」


結局、麻布絶口釜無村の木蓮寺は、架空の寺だそうだから・・・この先にモデルになったらしい「曹渓寺」というお寺があるそうだけど・・・・もうこの先は行かない。
午前中10時過ぎに歩き始めて・・・・もう午後の4時だもの・・・・・・5時30分には浅草公会堂で学生さんの三文の会を観に行かねば・・・・

三文の会のつづきは、次回のブログ更新で・・・それでは・・・ほんとに、くたびれたなぁ・・・・

2014年9月22日月曜日

太ったおっさん「かいわれ寄席」に現ると「クララが立った!」と大福の「芝浜」

何で縁もゆかりもない大学落研の発表会を見に行くのかは、以前に書いたブログを読んでもらうとして・・・・
二松学舎大学の落語研究会の発表会を観てきた。
平成26年9月21日(日) 午後1時30分開演
四谷荒木町 「橘家」・・・なんだろう・・・ここは、料亭みたいなつくりの桟敷の・・・貸スペースなのかな・・・・・ともかく、玄関開けたら2分でごはん・・じゃない高座がある・・・・入ればわかりやすいが・・・たどり着くまでが多少わかりにくい・・・でも、静かで趣のある会場でありました。
 

これは、終演後にお客を見送るの図、丁寧な対応で気持ち良く帰れました。お疲れ様
 







演目やなんかは、二松落研さんのHPで見てもらえばいいとして、









めくりと座布団返しの子が、とても丁寧に座布団を返した後にお客へ見せる満面の笑みが初々しい

 














 
1年生部員の初高座披露の寄席らしいけど・・・
上手な子はほんとにうまい。人前で芝居とかやった経験とかある子なのかな
















どっかのおじさんから高座名の説明を求められてた専大の落研さん
夢三亭と松風亭らしい・・・二松学舎に負けるな専大落研!

















話は飛びますが・・・・・最近、あっちのほうは、すっかりダメであります。歳のせいか糖尿か・・・
アルプスの少女ハイジの友達のクララは、ペーターに車いす壊されて立てるようになるけどね・・・
「クララが立った!クララが立った!・・・んなこと言っても・・・俺はすっかり勃たなくなった・・・・まったく「クララはたつのにねー!?・・・」なんか言われてしまう。・・・・しょうがない。・・「今はただ、小便をする道具なり」・・・・・クララはえらい!・・・・・・下ネタですいません。

またまた、話は飛びますが・・・・・伝助さんのブログ・・・風柳師匠の「芝浜」の話・・・・・面白かったです(まだ、完結前ですけど)しかし、よく覚えてますよね当時のこと・・・まくらも含めてこの噺への思い入れ・・・いいですね。

私も持ちネタで・・・・・やってます・・・・対外発表会ではないですけど・・・・合宿の部員の前でと、卒業した後に隣村の老人会の研修会かなんかで・・・・

私は、録音が残ってる合宿の高座のまくらでは「ほとんど談志、そこはかとなく漂う三木助の香り・・・ということで・・・芝浜やらしていただきます。・・・」と、入ってますので立川談志さんと先代の桂三木助さんのテープ聞いて覚えました。談志ひとり会かなんかで生の芝浜も見てたと思います。
談志さんの「芝浜」は、当時30年前でも、やるたびに変化してるので3本ぐらいテープ・・・・3種類ぐらいのの談志の「芝浜」を何度も聞きました。

「・・・・・・長年連れ添う女房に・・・嘘をつかれて・・・・腹ぁ・立つだろう・ね・・・・・なぐっても、ぶってもいい・・・・・だけど・・・おまえさん・・・あたし・・・ださないで・・・・お願いだから、ださないで・・・・だって、だって、あたし・・お前さん、好きなんだもん・・・・・」

「・・・・あっ。鳴ってる、鳴ってる・・・ボーン・・・・・百八つ」
「・・うん・・百八つ・・・・」
「・・・百八つ・・・・」
・・・・こんなのやりたかったんですよね。20代学生の分際で・・・今じゃ、「クララは立つのにねー」なんか言われてるおっさんがですよ・・・・まったくの話。

あと、参考にしたのが、あの安藤鶴夫の「我が落語鑑賞」って本、高座でやられてた噺の速記本みたいに落語が採録されてて、しぐさまで採録されてて、その「芝浜」の部分、たぶん桂三木助さんのの採録、その中に・・・・お内儀さんに起こされて芝の浜に来てみたが時間が早い・・・・・浜で顔でも洗って待とうとブシャ、ブシャっと洗ってみたが・・・ふところに手ぬぐいがない・・・・いけねえ、ってんで、頭に巻いてたねじり鉢巻きの手ぬぐいをはずして、広げて顔をふくシーンのパントマイム・・しぐさと、

談志さんもやってますけど、キセルで刻みタバコ吸うときの「・・・昔は、ライターとかマッチとかありませんから・・火打石でおこした火を「火口(ほくち)」てえものに移して、キセルに火をつけた」・・・・で、つけた一服目を吸って、二服目を吸うときは、一服目の火種をふっと吹いて左手に落として、熱くないように、左の掌で転がしてるうちに、キセルに煙草をつめて、転がしてた火種でその煙草に火をつけて、ついたらキセルを咥えたまま、両手をポンポンとはたいて燃え尽きた火種の灰を払い落とす・・・・・いちいち、何度も火打石で火をおこさない、そんな、外回りの魚屋さんがやってたであろう、しぐさをやってみたかったのであります。

その卒業後の老人会のじい様、ばあ様の前でやった時の「芝浜」では、この煙草のしぐさをやってるときは、反応がないので・・・「なんだかわからないでしょう?・・・・これは、昔はライターとかないから、火打石でおこした火をほくちってものに移して、それで煙草に火をつけた・・・というところをしぐさだけで表現してるところで・・・・だめですよ、前途ある若い演者が足りないところは・・・・みなさんの過去の経験に照らし合わせて想像力でおぎなう・・・頭使わないとぼけちゃいますよぉ・・・」とやって怒られたことがありました。

それと、俺、当時から酒の飲めない下戸だったから・・・大好きな酒をやめることの意味がよくわからず・・・・この噺を解釈するとき・・・・人間はそんなに強くない・・・この魚屋さんも、そんなに簡単に酒を断つことなんかできたのか?・・・・魚屋の寄合かなんかでひとり飲まないなんてえことができるもんか?・・・・ほんとは、魚屋さん、魚勝っあん、止むにやまれず飲んじまったこともあったんじゃねぇーか?その度に、泣くほど後悔して、やっと3年目の大晦日に飲まなくてもいられるようになった・・・その間の七転八倒の苦しみの方が、人間的じゃない?そんな風に噺直そうかな?
と、酒の強い夢三亭小たつ君に相談したら・・・・「そりゃぁ、だめでしょう」と否定されたのを覚えてます。

今、思えば、好きな酒を我慢した長い時間があるから、目の前の酒。飲んじまえば、これを手に入れることの代わりに手放さなければならなくなるかもしれない取り戻した夫婦の幸せな時間。・・・・・・「よそう・・・」っていう気持ちになるよな。直す必要はなかったと確かに思う。

2014年9月19日金曜日

燃え尽きた男?あの頃の部室と集合写真あれこれ

この男は、人生に疲れて燃え尽きたわけでも、昨日の酒が抜けなかったわけでもない・・・

お昼休みの「校内寄席」の準備のために演者の出囃子のカセットテープの頭出しをしているのである。30年以上前の部室の風景であります。たとえば、開口一番が私、大福なら当時の私の出囃子「野毛山」を録音されているカセットテープの曲目の中から探し出し、曲の頭が見つかったら、少し戻した状態でスタンバイ。

寄席が始まったら、太鼓の片シャギリの後、私の登場に合わせて曲を流す。私が座布団の上で頭を下げるのに合わせて、音をフェードアウト。カセットテープは1本だけだから、噺の間に次の演者の出囃子の頭出しをしておく・・・そんな風景。





集合写真。みんな楽しげだ。

部室の入り口付近はこんな感じだった。壁際にならんだボックスが個人ごとのロッカー代わり。
末広亭のビラ、とか部員の名札とか・・・









窓際がこんな感じ。
森永の食堂から勝手に持ってきたトレーとか食器とか・・・









「落語長屋」での新幹部紹介。・・・豊島区民ホールだったかな?

先日の金権選挙によりまして新しい幹部が決まりましたので、紹介します。新代表の松竹亭松弥。
この方の地元に行きますと郷境に白い着物に藁で帯を締めたおじいさんが杖をついて立っておりまして・・・・よそ者が来ますと「帰れ―!かえれ!」と追い返す。そんな埼玉出身であります。
他副代表は九州出身で親が隠れキリシタン。もう一人が先祖が横浜で中華饅頭屋の親父をしめ殺した因果で真ん丸顔に生まれついたという男。この3名が新幹部でございます。よろしくお願いします。・・・・・・そういったあいさつ。何の紹介にもなってなかった。


そして、私が幹部のイロハを教わった先輩。松竹亭酔梅師匠。やさしくて厳しくて、そこまでやる?っていう吹っ切れ具合が大好きでした。






途中で退部しちゃう娘も多かったっけ・・・・

今は、どこでどうしているのやら・・・