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2014年6月4日水曜日

「あの唄は、もう唄わない」と「でかい」と落語「大仏餅」

去年もひとりで誰にも知れずに
一番うしろで見てました
あの唄もう一度聞きたくて・・
私のために作ってくれたと今も信じてるあの唄を・・・
・・・・・・・
あの唄はもう 唄わないのですか
私にとっては 思い出なのに

つきあってる女の方が口ずさんでおりました・・・「あの唄はもう唄わないのですか」
伊勢正三 作詞作曲の1975年ごろの曲、オリコン最高24位だそうであります。

シンガーソングライターの彼氏と別れたおねえちゃんが「あの・・思い出の曲は唄ってくれないの?
と、問いかける・・・甘いちゃあ、甘い歌であります。

その、お付き合いしてる女の方も街中で流れてる歌に・・・「あっ!イーグルスの「デスペラード、ならずもの」だ。・・・別れた旦那が好きだったっけ・・・・・椎名林檎もね・・・好きだったんだわ・・・・・などと思い出すことがあるようで・・・・音楽、歌は思い出と一緒に思い出したりすっからなぁ・・・・俺がいない時代の思い出には、勝てるわけがない。

俺たち落語を趣味として・・・日々、小噺なんぞを作ってるやからとしては、
「あの小噺は、もうやらないんですか?・・・・私のために作ってくれたと今も信じてる・・・あの小噺を・・・」ってえことになるわけで・・・・

「・・・・・・も~ぅ、交通事故が大変なんすから、ほんとに気を付けてくださいよ・・・・こないだも、そこの四つ角んところで・・・ボーンッとはねられた人がいたんだですけど・・・どこの誰だかわかんないんで・・・お尻、パッとめくってみたら、毛が6本生えてたから・・・・あーっ六本木(毛)の人か?・・・って住んでるとこは判ったんですけどね・・・・↓ こっちから こっち、笑いが少ない・・・こっち休め!」

この歌がはやったのが、1975年・・・この4年前、1971年の第5次落語研究会での事なんでしょう。落語「大仏餅」は、8代目桂文楽さんの最後の高座で「勉強しなおしてまいります・・・」の話で有名だけど・・・・こと桂文楽さんのことについては、いい加減なこと書くと伝助さんに怒られる・・・・

でも、そんな大事件が起こってた頃、俺は落語なんて聞いたこともなかった。それに、この「大仏餅」って噺そんなに面白い噺ではないでしょう?下げに向かって出来上がってる噺で、・・・・桂文楽さんに起こった事件がなかったら、そんなに有名にはならなかったでしょう?・・・・・・・・今回もう一度、「大仏餅」聞いてみた。・・・・・乞食(おこもさん)の、子供が、縄張り荒らしとして乱暴された盲目の父親の怪我の血止めの煙草の粉をもらいにくるところの・・・・「お願いでございまーす」のこの声のトーンは、ストーリーとは関係なく聞くものの琴線に触れるね。聞いただけで泣きそうになるのは・・・俺だけかな。
噺そのものは、大仏とは何の関係もないけど・・・・・牛久大仏を見てきた。前にお付き合いしてる人を誘ったら、絶対行かない。と断られた、でかすぎて恐いのだそうだ。なんとなくわかる気がする・・・・・
なので、一人でぶらぶらと・・・・・・・しかし、でかい。全長約120m・・・奈良の大仏が掌にのるサイズとのこと・・

「でかい」と言えば・・・一時、大学の落研技術顧問をお願いした今は亡き、三笑亭夢楽師匠は「夢楽の風流夜話」という著書があるくらい、その道のつわものという話を先輩から聞いた・・・・、「なに」がでかいといううわさもあり、落研の合宿にご参加いただいたおりには、その真偽を確かめるべく後輩の松竹亭松弥君に風呂の三助を命じて・・・・・師匠の背中を流して差し上げなさい。ついでに真偽を確かめてくるように!・・・・と命じたことは、覚えている。・・・・・しかし結果の記憶がない。・・・聞いてはいけない報告を聞いてしまったんだろうか?・・・はて、思い出せない。

さて、牛久大仏。ここは、元々、お墓・霊園だった敷地内に大仏を建立?したらしい。大仏の中にも入れて、エレベーターで胸のあたりまで登れてスリットから下をのぞくこともできる。さすがに目から鼻へ抜けることは出来ないらしい。エレベーターの3階あたりには,胎内仏の阿弥陀様がずらーっとおさめられてたし、納骨もできるんだそうだ・・・・・浄土真宗東本願寺派・・・・つっても、意味が分からんのでありがたみも判らん・・・。参道の手前のステージで、坊さんの講話があり、そのあとに「いばライガーショー」という戦隊ヒーローもののキャラクターショーをやっていた。ありがたい。もったいない。

でも、いろんな方々の思いや、埋葬されている方のご家族もいらっしゃる。
・・・・・・・・静かに手を合わせてきた。・・・・南無阿弥陀仏。

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