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2014年5月14日水曜日

夏の始まり貧乏学生と落語「人情八百屋」

夏日だ。暑い
清水ちなみ・原田宗典さんのOL委員会秘宝館スペシャルという本の
       「腕離れ パンツさがした 夜明け前」
という俳句?が最近のお気に入りである。

給食の仕事に配属されてから、腹がすく、飯が食えないということを考える。
学生時代から学生くずれのプー太郎時代は貧乏だった。
とは、言っても実家は、農家だったから米だけは送ってもらえたし、アパートだって木造の下駄箱で履き替え中廊下式の風呂無しトイレ共同(頭の上にタンクがあって、鎖のひもを引っ張るとジャーと水が流れ落ちてくるやつだった。)、四畳半一間の学生アパートだったとしても、コメも尽きて明日バイトに行く電車代がない日もあったけど・・・・食べ物がなくて参っちまうってことは無かった。

 テレビやカセットテープレコーダー(落語音源ダビング用のダブルカセットは、落研学生の必需品だった、)あたりは、下北沢の質屋さんに何度も持ってったし、古本屋さんも売る方の常連だった。米以外の食べるもんだって、新代田のスーパーでアルバイトしてた元落研仲間の楽家にゃんにゃんさんちに行けばスーパーの残り物の惣菜とか食べさせて貰えたし・・・彼女のアパートなんて三畳一間だったもんな。・・・月見家露漫さんとこでも、夢三亭牛丼くんや松風亭風公くんの付き添いでごはん食べさせてもらったもんだ・・・露漫さんがバイトしてた生田のスナック?みたいな飲み屋さんで作ってもらった「焼うどん」うまかった。酒飲めないのに、ボトル入れたら手持ちの金が足りなくて、働いてた露漫さんに立て替えてもらって帰ったこともあったっけ・・・・・・ほんとうに助けていただきました。ありがとうございました。今も貧乏だけど生き延びてます。

卒業の時の寄せ書きに風公くん・・・こんときは、松風亭遊
だったんだね。が書いてくれた「さよなら」のメッセージ

まあ、俺のは、いいかげんだから、はまった貧乏でもあるけど

うー、おばあさんよ、お茶ぁ入ったよ・・・
まぁ、おじいさんにお茶入れてもらって・・・はい・・いただきます・・・
俺ぁ・・あの一件・・どうなったかと思って気になってしかたがねえんだがなぁ・・・
なんだい?藪から棒に「あの一件・・」って?

ほら、お前ぇにも話たろう・・・・もう十日ぐれえ前ぇになるかなあぁ・・・・
霊岸島の裏長屋、俺が残り物の茄子あきなってると・・・・

あれれ・・これ、お宅の坊ちゃんでしょう?・・・・・生で食べてますけど、こりゃあ虫のせいですか、かんのせいですか・・・なんで?・・・

亭主が三年越しの長患い、子供にも、もう三日も満足なものを食べさせておりませんで・・・煮て食うものも、焼いて食べるものもわかりませんで、このありさまで・・・・・と言われた時に・・
うちも貧乏だが上には上があるもんだ・・・と、持ってた弁当子供さんに食べさせて・・・持ってた銭・・300文・・・・置いてきた・・・・あの一件気になって仕方がねえんだ・・・・

そう!そんな話聞きましたねぇ・・・・・ねぇあたしゃ、そんな話聞くとたまんなくなっちゃう・・・子どもが三日食べてないってんだろ?・・・・親はどれだけ食べてないか・・・・ねぇ・・・
行ってきておやり・・・・・・いくらか持ってっておやりよ・・・なぐさめてあげてね

落語「人情八百屋」・・・講釈だか、浪曲だか、から立川談志さんが落語に持ってきた噺だそうだけど・・・・

みんな貧乏だから、他人の貧乏の悲しさがわかる、わかるから助ける。しかし、良かれと思ってしたことがいつも、ハッピーエンドを連れてくるとは限らない。

生活保護の現場でも貧乏こじらせて参っちゃう人もいれば、なんで働かないの?って聞いたら、働いたら保護費もらえなくなるでしょう。って答えた人もいた。・・・・モラルハザード・・甘えたらきりがない。・・でも昔は福祉なんて概念ないから自分で何とかするか仲間内で助け合って何とかする・・・・だめならそれっきりだ。


一発逆転の人生なんてない。こじらせた貧乏から抜け出すのは、難しい。
でも、苦しいときに助けてもらったり、一緒に金のない時代を過ごした友達がいたことは幸せだったと思う。
風公くんが誕生日にプレゼントでくれた
ブルース・ブラザースのカセットテープ・・
・・なんでくれたのかは覚えていない

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