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2012年7月14日土曜日

金玉のでかいおじいさんと「孝行糖」と歌舞伎町の「みな好き会」

おじいさんは、80歳を過ぎている・・・知的障害がある・・・やっと自分の名前がかけるぐらいの・・
そけいヘルニア?・・・で、金玉がソフトボールぐらいある。・・・・この大きさは・・俺は男として負けを認める。

得意技は、「うそ泣き」である。・・・・大声を出して自分の主張が通らないと・・・「ひーーーん」と泣くのだ・・涙なんか出ない。・・・涙出さない松田聖子の泣き顔に負ける気はしないけど・・・80歳過ぎたおじいさんの泣き顔は、最初ちょっと負けそうになった。
生まれつき障害のある・・・・障害というよりは・・・個性かな。・・・おじいさんは、親御さんや近所の人に世話を焼いてもらって・・・生活習慣を教わり・・・悪いことをしないようにしつけられ・・・・バスの洗車・清掃とかの仕事を教わり就職して年金ももらえるようにしといてもらい・・・地元で生きてきたんだ。・・・・・どこでも行けるところは、杖をついて歩いていく。金玉かばいながら・・・体をかしげながら・・・・ズッコタッコ、ズッコタッコ・・・

落語の「与太郎」のように・・・・「孝行糖」を思い出す。
親孝行のご褒美を元手に町内の方々が、与太郎に商売をさせようと飴屋に・・・売り声が楽しい。
「孝行糖孝行糖・・・孝行糖の本来は・・うるのこごめにかんざらし・・かぁやぁにぎんなん・・にっきにちょうじ・・・チャンチキチンスケテンテン・・・昔々のモロコシの二十四孝のその中で・・・老らい子といえる人・・・親を大事にしようとて、こしらえ上げたる孝行糖、食べてみな、おいしいよ、また売れたったらうれしいね。」
楽しい歌だ。

しかし、おじいさん、いかんせん長生きだった・・・面倒見てくれた近所の方よりも長生きだった・・・一人暮らしが難しい歳になってしまった。
何年か前、俺が判定委員会にかけ・・・・施設と調整し・・・身元保証人になる人をを探して出身地の心当たりを、車に乗せたおじいさんを連れて・・・「この方・・お知り合いではないですか?・・・」と一軒一軒まわって・・・やっと見つけた御親類は・・・「お付き合いは出来ないので・・・保証人にはなれません。」と断られ・・・・何とか調整して・・「養護老人ホーム」に入所させたんだ。

半年後・・・・自由人のおじいさんは・・・集団生活など出来るわけもなく。
毎年行ってる水戸の「黄門祭り」に、連れってくれれば我慢するというので・・休日返上で黄門祭りに連れてって・・という我々の引きとめ工作もむなしく・・・施設と喧嘩して施設を退所した。・・・施設は俺達と一緒におじいさんの大声やうそ泣きに立ち向かっては、くれなかった・・・露骨に迷惑そうだった。・・・俺の失敗だったんだ・・・たぶん。施設のせいではない。

今は、東日本大震災で家が駄目になったので・・・致し方なく・・・うそ泣きにも立ち向かってくれる別の施設で・・・・・それでも時々「帰るんだー!」と施設の職員さんを困らせなながら・・・大きな金玉で頑張っている(俺、金玉すきだなぁ・・)

7月13日の金曜日・・・新宿歌舞伎町2丁目で専修大学落語研究会の対外発表会
私の写真は恒例の初代風柳先輩の後頭部で・・すいません。

みな好き会があったので、行ってきた。
仕事終わってからで・・・・6時開演に間に合わず7時過ぎに滑り込み

桂小文治先輩の補導出演は、間に合わず
立川談修さんの「芋俵」は見られた。

談修さんの高座でのお辞儀は、談志さんみたいで・・・丁寧できれいだ。
もうすぐ、真打なんだなぁ。

ヒザ代わりの「いろもの」は、漫才やってた・・・漫才の方がパワーがあって声も出てる・・・今は、落語の方が「いろもの」っぽい。
トリは、女性の4年生が・・・「紺屋高尾」をやっていた。
20歳前半の女性のやる「廓噺」だけど・・・・・・ふわっとした・・・不思議な「紺屋高尾」・・・誰の落語で覚えたんだろ?・・・・・

昔・・昔・・・君によく似た落研部員が俺達の代にいたんだよ。君のお母さんぐらいの年代かな・・
2年でやめってったけどね・・・・・思い出してしまいました。楽しかったです。みな好き会も・・後輩さん達の落語も。

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