通勤途中のコンビニの軒下のツバメの巣・・・子どもつくり過ぎだろ |
大学入学当時・・・浪人時代に太って80キロ以上あった体重が・・・・山越のアパートに住んで、山の上の大学に通い始めておよそ半年で60キロ近くまで減った・・・・本を書こうかな・・・・「私は、こうしてダイエットに成功した・・・奇跡のダイエット法」
ブログの「松風亭日常」で伝助さんが、書いてた友川かずき、や三上寛、小室等・・・・私も伝助さんほどディープでは、ないけど・・・多少は聞いてた・・・かすってる程度だけど。
友川かずきは、風呂屋で見たというのは、当時何度か伝助さんに聞いた気がします。・・・三上寛は・・・茨城の田舎の高校生の頃かな深夜放送で吉田拓郎かなぁ、コンサートの告知してて「・・・・・・「みかみかん」も来ます。」と言ってたのを聞いて・・・・これは、たぶん「みか・みかん」という女の子のフォークディオかなんかで・・・みかちゃんとみかんちゃんという可愛い女の子を想像してたら・・・・「三上工務店が行く・・とか、夢は夜ひらく・・なんか後々聞いて・・・・・打楽器みたいにかきならすギターと野太い歌声・・・宮沢賢治にも通じる東北人の顔・・・びっくりしたのを覚えてます。
小室等さんは、雨が空から降れば・・・・なんでしょうけど・・・・「老人と海」・・いいですよね。私は、本牧亭でやってた「政治寄席」ってので中山千夏さんが歌ってるの聞いてから、大好きな歌です。
あと、伝助さんもお好きと聞いている「森田童子」・・・・・俺達より一世代上の・・・学生運動とかの世代のにおいのする・・・・歌。
俺達は、背伸びして・・・いきがって聞いてた気がします。
あの山の上の大学の落語研究会は、当時、学術文化会という組織に属しており、この自治祖組織は、ヘルメットにはZのマークいわゆる「◇〇派」で、俺が入学する前の年には、対立する派閥の組織の襲撃を受けて幹部が二人頭割られて亡くなっており・・・・文化会の事務局の部屋のドアには亡くなった二人の写真が貼られてたのを憶えてます。・・・・この部屋いくのいやだったなぁ。
で、その襲撃事件の記念日?メモリアルデイ・・・には、追悼集会が細々と行われ・・・・能天気な落研は、その日に校内で寄席を開催し「・・・・お客さ~ん!・・お笑い、大笑いの落語。いかがですかぁ~・・・」とやって・・ふざけるな!!・・と追悼集会の運動家たちに追っかけまわされた・・という話を先輩から聞きました。・・・そんな、においがまだ残っている時代だったんでしょうね。
だから、森田童子の「僕達の失敗」という歌が、俺達と同年代の脚本家の野島伸二(字が違うかな?)の脚本の「高校教師」だかのテレビドラマの主題歌で評判になったとき・・・・なんか大事にしてた歌を宴会のカラオケで歌われてしまったような・・・・・こんなふうに使うなよ・・・と思った記憶があります。・・・・・・・・「さよなら僕の友達」という歌は、大森一樹監督の「オレンジロード急行」という映画の挿入歌でいい感じで使われてます。
・・・・・・ほんとに、俺達が気心の知れた昔の仲間と歌いたい歌がカラオケには入ってません。・・・でも、これでいいと思います。もうおっさんです、俺達。
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