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2012年4月15日日曜日

首と胴体と「豆屋」

落語でさぁ・・・「胴斬りにされた男が、上と下別々に奉公した」っていう小噺あるでしょう。「首提灯」なんて噺の枕に使うの。

上の胴体が湯屋の番台で仕事して・・・下の方が向こう鉢巻して・・・じゃないふんどしして蒟蒻屋で蒟蒻踏んでる・・・・上の胴体の下の胴体への言伝が・・・肩がこるから足の三里に灸を据えてくれ・・・下の胴体から上の胴体の伝言が・・・・・(下の胴体ってどこでしゃべるんだ?)・・・・あんまり女湯を眺めねえでくれって・・・・・ふんどしの傷みが激しくっていけねぇ。

このあいだ、森まゆみさんの本読んで「累ヶ淵」の舞台を見たくて常総市、羽生とか訪ねたついでに板東市まで足を伸ばして平将門の墓をお参りしてきた・・・・この人は、平安時代に関東6国を支配して新皇を名乗ったりしたもんだから、朝廷から追討の命が出てあわれ38歳で亡くなったんだそうだけど、この人が亡くなった旧猿島郡岩井市に胴体を葬った「胴塚」があるんだ。

で、首は京都に送られてさらし首になったんだけど、ある日この首がポーンと飛んで落ちたところが今の東京都千代田区大手町あたり・・・ここには、「首塚」がある。森まゆみさんは、パワースポットで行ったら体がビリビリしたって書いてた。何も別々に葬らなくても・・・俺、こっちも行ったんだけど、ビリビリはしなかったけど、ビルの谷間の不思議な空間だった・・・しかも、どしゃ降りの雨が降って風も強いビル風で・・・ちょっと怖かった。・・
で、この将門さん生前パワフルな人だったから亡くなってもパワフル・・・・たたりがあっちゃいけないってんで建てたのが神田明神・・・・胴塚がある板東市の地名も神田山(かどやま)と言うそうな・・・


雨の首塚

よく晴れた日の胴塚
そんでもって、「豆屋」
伝助さんが、ブログで豆屋が応対する、こわもての二人の登場人物の描き分けが難しかったと書いてらしたけど、私もたしか・・2年の冬合宿に桂文治さんのテープで憶えて持ってってます。

宿に着いた日の夜の発表会の出番になって・・・・合宿中に多少なりとも稽古してひとり目の怖い客と二人目の怖い客にメリハリ着けて・・・・なんて考えてたので・・・もう間に合わず・・・・・・・・・でも何とかしたくて・・・・・・発表会の前に着物着替える前に、字のうまい牛丼君に左腕にマジックで「入れ墨」と、右腕には「ものすごい入れ墨」と書いてもらって・・・・・・・・自分の発表の高座で、「おう!豆屋!」と最初に呼び入れる人のときに左腕をまくって「入れ墨」を見せて・・・・・・二人目、もっと怖い人が「豆屋!!」と呼ぶときには、右腕をまくって「ものすごい入れ墨」を出す。・・・・そんな人物の描き分けをした思い出があります。・・・・思い出しました。仲間内の発表会では受けたけど・・・・・
他でやっていいという許可は先輩方からは、頂けず・・・・・・・

結局、その夜の発表会以外では・・・・・1,2回しか人前でやらなかった・・・と、記憶しています。
自分のアイデアには、満足したけど・・・・・素人のやることだからさ、難しかったけどいい思い出です。



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