まず必要なのは、ここのとろの連日の猛暑であります。30度を超え40度すらこえるところもあるという(おれの春のインフルエンザり患した時だって、40度は超えなかったもの。)そして豆腐・・・スーパーかなんかでふたパックくっついて打ってるのを買ってきてひとパック食べたけどもうひとパック残っちゃって気がついたら賞味期限が過ぎてしまったなんてのがかならず冷蔵庫に残ってたりするもんです・・・それです。それがあったらもう大丈夫です。できれば大きな釜でお湯を沸かしてその釜がまだ熱い状態で空になってそのままにしてあるなどというシチュエーションがととのっていっればベストですがたとえそんんな釜がなくてもなーにこの温気の時分です、さらに乗っけて台所の風通しの悪い暑さのこもりそうな場所に2,3日ほっぽっとけば、たとえ置いたことを忘れていても台所に入った瞬間に我慢できないような異様な匂いが「酢豆腐」作成中ということを思い出させてくれます。あとは自分のことを「拙」とよぶような知ったかぶりの」いけ好かないお友達がいれば、呼んでこのできあがったものの食べ方がわからないからおしえてくれと頼めれば完成であります。しかし、ここで一言ご忠告申し上げます。実際にこの酢豆腐を作ってみた方ならおわかりでしょうがこれは、「目ぴり鼻つんといった段階を越えてしまった場合それはすごいことになりますよ「混ぜるな危険!」、「ダメ!絶対!」「そんなふうにはみえませんでしたよ・・合えばあいさつはちゃんとするし・・・何があったんですかねぇ―」「モー実家に帰らせていただきます」の世界です。たぶんお腹壊すなんて言う次元じゃないですよ、たぶん死亡しますね・・やめた方がいいです。全国の賢明な落語ファンおよび研究心に燃える実践派の落語研究会の部員の皆様への今、台所が臭くてしょうがない落研OBのバカ野郎からのご忠告でありました。
賞味期限切れとはいえまだきれい・・これが→ |
きれいなシャツの裏にはならない |
私は生活保護の担当ではないのだが、電話を受けた身の不運で、病院に連れて行ってくれという生活保護の方からの電話をうけてしまったのが運のつき
包括支援センターというところの保健師さんたちと現場へ行って驚いた外から二階が覗けて・・しかも二階の屋根が抜けていた・・夏の青空が見えた。居間に寝たきりのお爺さんがいた・・・下半身裸、聞けばトイレはティッシュにとってビニール袋に入れて部屋の隅にほ放って積み上げる「オムツ貝塚」のような状態いくら本人が施設や病院を拒んでいたからといってこの天気にこの状態で一人暮らしにさせとくなんてどーかしてるぜ担当ケースワーカー・・ともかく屋根がない。やーねなんぞというのはいうのは林家一門にまかせて救急車を呼ぶ。以前に救急車を呼んだ時、状況説明を深刻に伝えすぎて救急ヘリコプターをよんでしまったことをお思いだしたので抑え気味に伝える。
数分後救急車が来たが、ごみ屋敷状態の居間(障子があかなくなってて30センチぐらいの隙間からものの出し入れがやっとできる状態)我々は千利休の茶室と呼んでいた。ここを無理やりあけて搬出するには、救急隊員ではむりとのことで、消防を呼ぶことになる。消防車が到着するころには近所の人たちも集まってきてえらいさわぎ、何とか千利休の茶室を壊して爺様を搬出、下半身すっぽんぽんの33キロしかない枯っ葉みたいな爺様は電気のブレーカーは下げといてくれと冷静に我々に指示しながら毛布にくるまって救急車の滑車の付いたベッドに乗せられて国道を病院に向かった。屋根なんかなくても人は生きて行けるもんだ。
かぜを探してというと浜田省吾の歌みたいだけど実家で探して見つけた専大寄席の発表会の時に発行した機関誌かぜ第21号俺の代から3つ4つ下の代が発行したものだ。
おはやし「浜田よし子社中は懐かしい、発表会はいつも浜田よし子さんをおねがいしてたっけ。
補導出演は、技術顧問の三笑亭夢楽師匠のお弟子さん夢三四さんが出てるんだなぁこの方も若くして亡くなったんだっけなぁ・・昔夢楽師匠の早稲田のマンションに酒合丈さんや八海さん、当時の幹部の方々とお訪ねするとまず出てきたのがこの夢三四さんだったったっけ、当時は夢坊さんと言ったっけか・・この専大寄席の録音とか残ってないのかなぁ夢三四さんの落語録音とかないのかなぁ。
部員の似顔絵は、美化しすぎ