8月下席夜主任は春風亭一之輔さん・・・私は昼の部林家しん平さんの骸骨かっぽれを見た。 |
学生からぷー太郎の時代は、俺の部屋には電話が無かった。
学生アパートの時は、大家さんちから呼び出しで
「電話ですよー」と呼ばれ、大家さんちの玄関先で黒塗りの受話器の重たい電話器を借りて話した。
こちらから電話するときは、公衆電話から電話できるけど、かかってくるものは、大家さん呼び出しになった。
今は、携帯だのメールだのあるから連絡がつかないなんてことは、あんまりないんだろうけど・・・・
NHKの「昼のプレゼント」なんて番組で、1週間いろんな大学の落研に日替わりで出て欲しいなんて出演依頼の電話も大家さんちの玄関先で聞いた。
一度、牛丼君からの電話があり、話してたら遊びに来ていた牛丼君の友達が代わって電話の向こうから・・・「何か、面白いこと言ってみて・・落研。」というので、・・・
何も考えず「う・ん・こ・た・れ」と元気よく話したら、静かな大家さんちの玄関先に“うんこたれ”の声が染み渡っていったのを憶えてる。
・・・・俺は、小学生の子供か・・・
今は、ほとんど(茨城弁では「ほとんど」は、「ほどんと」というふうに、にごる場所が変わる・・関係ないけどね)使うことが無くなった公衆電話でも、当時は連絡には使ったなぁ・・・
落研を辞めたがっていた後輩の女子部員の相談を受け・・・・泣き出しそうな女の子の話を公衆電話で聞きながら・・・俺は、落語がどんなに面白いか・・伝えようと当時、好きだった桂米朝さんの落語「まめだ」という噺を・・・・電話越しに話してあげた。
いたずらが過ぎて怪我をした、まめだ(豆狸)が子どもに化けて、貝殻に入った良く効くという塗り薬を買いに来る。・・・お金がないから銀杏の葉っぱを一銭に変えて・・・
毎晩、毎晩・・薬屋さんが売り上げを調べると銀杏の葉っぱが1枚入っていて一銭足りない・・
不思議に思っていると・・・ある日、お寺の境内で体に貝殻いっぱいつけて死んだ子狸が見つかる・・・
紙や布に伸ばして貼るという薬の使い方が分からずに・・貝殻ごと体にたくさんくっつけて・・
そんなもんが効くかぁ・・・可哀想なことをしたなぁと和尚さんに頼んで境内の隅に埋めてもらうことにしてお経をあげる・・
近所の人もみんなで線香の一本もあげる・・みんなが帰ったそのあとで・・・
秋風がサーッと吹いて銀杏の落ち葉が死んだ狸の周りに集まった・・・
「・・・見てみい・狸の仲間からぎょうさん香典がとどいた」
それから落語「蛍の探偵」も・・
田舎から大阪見物に来て道頓堀のあたりに宿をとった・・・なにせ夏のこと、えらい蚊で蚊帳の中まで入ってきて眠れない・・・蒸し暑いし寝苦しい・・・こうなったら・・川へ飛び込んだら、涼しいし蚊の襲来からも逃げられると・・道頓堀川に飛び込んだ。
冷やこうて気持ちがいいし、川面を風も・・蚊も気づかんじゃろう・・と裸になって川に浸かっていると・・・フワリ、フワリと蛍が飛んできた・・・「あぁ・・あかん!虫の探索が提灯ともして探しに来よった」
公衆電話口で一所懸命話してたら・・・
泣きそうでグズグズしてた女の子が静かになったので・・・「どーした?」・・・・・「・・・眠くなっちゃいました・・」
(まったく、女ってやつは・・・)・・・・と思ったけど・・・
電話を切って、坂の下の電話ボックスから・・・坂の向こうのアパートまで夜の住宅街をぶらぶらと歩いて帰った。・・・・彼女は、その後、卒業まで落語研究会にいたと聞いている。
・・・・遠い。遠―い、昔の話。携帯電話もメールも無かったころの・・・たぶん彼女も忘れた昔の話。
遠くの花火は、音が後から来る・・少し物悲しい・・残暑ももう少し |