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2015年6月4日木曜日

「銀座カンカン娘と志ん生」と「潮来花嫁さん」と「猫娘のふるさと」

「銀座カンカン娘」という映画をDVDで見る。
若き日の古今亭志ん生が落語をやってるシーンがあるというのを聞いていたのでみたかったのだ。・・・・・・・・1949年の映画。高峰秀子さん主演で笠置シズ子さんが共演。







古今亭志ん生が「疝気の虫」でそばを食べるあたりとエンディングに向けて「替り目」をやってる。若かりし頃の志ん生は、ちょっと、気難しそうな顔をしている。俺には、晩年の愛嬌のあるおじいさん顔に比べるとちょっと取っつきにくい顔だ。五代目志ん生の生まれが明治23年、1890年の生まれだそうだから59歳ごろ。満洲から帰ってきたのが1947年とすると、その2年後ぐらい・・・

志ん生が茶の間でやる「替り目」のエンディングが映画のエンディングにかさなる。けど特に、ストーリーにからんだ落語ではないし、ストーリーそのものがたわいない話がポワーンと進行するそんな映画だった。・・・・高峰秀子の可愛らしさを楽しめばいいのだろう。そして、今となっては、貴重な動く志ん生を楽しめば、・・・・「疝気の虫」でそばを食べるシーンとかこんな感じなんだな・・・・映画の題名で挿入歌の2番の歌詞がカルピス飲ん~で、カンカン娘~ぇ・・・・・カルピスがモダンな飲み物だった時代の映画なんだわね・・・



恒例の潮来あやめ祭り・・・最初の週の日曜日だったから、あやめ満開には、あともう少し・・・途中の道も震災後の改修工事完成まで、もうすこし・・・・・
あやめ


そして、お付き合いしてる女性の長男さん・・・・・呼んでいただいた結婚式で新郎の母のボーイフレンドと言えず落語「付き馬」の”おじさん”・・・・おばさんじゃないんだから”おじさん”でいいのだ・・・として紹介をうけた・・・・あの、長男さんに子供ができた・・・・正しくは、長男の嫁が子供を産んだのだけど・・・・・・おつき合いしている人(おばあちゃんになるのか・・)を、孫のいる秋田までお連れした・・・
退院した嫁が実家に戻る前の、数日を横手市のアパートで過ごすので、長男夫婦が心細いから居て欲しいということで・・・・横手駅に迎えに来た長男に出産祝いを渡して、彼女を引き渡したら・・・
帰るまでの二日間、私は、単独ホテルで過ごすことになる。・・・・孫みたいな子?には、会わない。・・・・俺は、「おじさん」、ほんとのおじいちゃんは、たぶんどっかにいる。・・・俺は彼女の付き馬みたいなもんだから・・・・・でも、写真で見せてもらった赤ちゃんは表情豊かな、可愛い女の子だった。元気に育ってくれ・・・「おじさん」は、心から願う。

次の日、秋田は今年の「東北六魂祭」の開場ということで、横手から秋田市へ向かう奥羽本線は混んでいた。俺は逆方向の湯沢に向かう・・・・・・湯沢駅は改修中で小さな駅舎と大きなクレーンがそびえていた。駅で聞いて羽後交通の路線バスに乗る・・・・・羽後町へ。
雪をかぶった鳥海山

進行方向の車窓に見える・・・・・遠くに雪をかぶった山が見える・・・・5月の終わりに雪か・・・・遠くへ来たなぁ・・・・
平坦な・・・田んぼ沿いの道を3人ぐらいの乗客を乗せた路線バスはゴトゴト、ゴトゴト走る。
運賃が600円を過ぎたあたりでもうすぐ終点、その一つ前のバス停で降りる。もう誰も乗ってない。


















ここが、秋田県雄勝郡羽後町・・・本当は、もう少し先の集落まで行きたかったのだけど・・・バス路線が廃止になっている。・・・秋田県でも有数の豪雪地帯と聞く。鷹匠といわれる人もここが最後で途絶えたとか・・・・・夏になると有名な「西馬音内盆踊り」(にしもないぼんおどり)が行われるそうだ・・・深編み笠や彦三頭巾で顔を隠して踊る・・・・亡者踊りからの由来とも聞く・・・・顔を隠していれば、死人や先祖の霊が混じって踊っていてもわからない・・・・幽玄な・・・・と形容されるのか・・・そんな踊りだそうだ・・・・・・

大学落研で「楽家にゃんにゃん」という猫娘と一緒だった。・・・・・何度も言うが「にゃんにゃん」という言葉に卑猥な意味が付加されていない時代の「にゃんにゃん」さんのことね。


彼女は、井の頭線新代田駅前のスーパーでバイトしていた。何度かバイト先のお惣菜で晩飯をごちそうになった。近くのアパートに住んでいて半畳の台所がついた三畳一間だった・・・・そんな、女の子の部屋に転がり込んで晩飯よばれる俺も俺だけど・・・・何をはなしたかなんて覚えていないが、終電間際まで話をしていい加減、帰れと怒られたりしていた。
彼女の故郷は、秋田だと聞いた・・・・・雪深いところで、冬には父親が出稼ぎに出ることもあると・・・
そんなところから、両親は娘を東京の大学にだし・・・・・・娘はアルバイトをしながら、三畳一間のアパートで頑張っていた・・・・・彼女は、それがどんなものかわからなかったけど何者かにならなければ、ともがいていた気がする。・・・・・もがく・・あの頃の落研の部員はみんな似たようなもんだったかもしれない。・・・そんな彼女に相談されたことがあった。「母親だか父親だかが病気」らしく・・・すぐにでも秋田に帰りたい・・・・・でも、交通費が7千円何がし、足りないと・・・・・あの時俺はお金貸したんだっけ?・・・・いや、・・・・・・大福には迷惑かけられないもん。近くに住む親類に頼んでみるから・・・・・わかったそれでもどうにもならないときは、何とかするから、もう一度相談して・・・・そんな会話をした気がする。

30年以上前でも・・・・みんな貧乏だった。、7千円ちょっとの手持ちも無かった。・・・・・・秋田は遠かった。・・・・・・その町を今回ひとりで尋ねた。静かな町だった。・・・・君はここで育ったんだ。・・・・あの時飛んで帰りたかったこの町は、こんなに遠かったんだ。・・・・・・
そばも名産らしい「冷やかけそば」がおいしかった。

それから、しばらくして2年生になって彼女は落研を退部した。
親に無理をかけて大学に行かせてもらい・・・・・なにものかになるためには、「長生きの野菜は百歳(はくさい)」とか「お母ちゃんパンツ破けたよ・・・・また(股)かい?」・・・やってる場合じゃないよな、と思ったんだろうな・・・・辞めなければいけない、そう思ったんだろう。それが、彼女の選択だった。



その後、しばらくは彼女のアパートを訪ねることも、晩御飯ごちそうになることも何度かあったけど・・・疎遠になっていった・・・・・・・大学卒業後、彼女が俺の知らない人と結婚した時には、式の二次会には呼んでもらった・・・・・俺の知らない幸せそうな花嫁さんが会社の方々にせかされて、俺の知らない花婿とキスをしていた。・・・・・幸せそうだった。


あれから、30年たって俺たちはなにものかになったんだろうか・・・・彼女は、あの頃のことなど忘れたかな・・・・・・・君のふるさとは、静かな穏やかな町に見えた・・・・・たぶんあの時の君の思いなど、何もわかっちゃいないんだけどね。

おまけ

狛江の牛丼君の住んでたアパートと思われるアパートが残ってました。






















狛江を歩いた時に見つけたけど、絶対この建物かどうかの自信はないです。
アパートの名前も変わってたし。